超高校級がJ練習参加「何もできなかった」 20歳FWはなぜ高卒でドイツへ…背景にあった「逆算」【インタビュー】

ボルシアMGの福田師王【写真:Getty Images】
ボルシアMGの福田師王【写真:Getty Images】

神村学園からボルシアMGへ加入したFW福田師王

 約2年前、全国高校サッカー選手権で「卒業後のドイツ行きが内定している」として注目を集めたのが神村学園高校(鹿児島)のFW福田師王だった。その期待を受けながら得点王も獲得したストライカーは現在、ドイツ1部ブンデスリーガのボルシアMGに所属している。なぜ超高校級と言われたストライカーはドイツ行きを選んだのか。そして、現在地がどこにあるのかを聞いた。(取材・文=轡田哲朗/全3回の1回目)

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 当時の神村学園は中盤には卒業後にセレッソ大阪入りしたMF大迫塁がいて、アンダー世代の日本代表で活躍を見せているMF名和田我空が1年生「10番」でキレのあるプレーを見せていた。ただ、何よりも最前線に構える福田の存在感は大きなもので、相手を完全に背中で押さえてボールをキープしてしまうし、“よーいドン”のようなタイミングで背後へのボールの競争になれば簡単に抜け出してしまう。そして、相手を弾くようなドリブルも力強いシュートも異彩を放った。当然、会場には同世代のファンもたくさんいて声援を受けていたし、会場の外では学校のチームバスの周りに多くのファンがいる状態だった。

 当時のことを福田は「高校生だったので、周りを気にせずに楽しむことを考えていましたね。感謝していたし、応援してくださることはありがたくて励みになった。周りとのレベルの差や比較をそんなに考えるタイプじゃないので、サッカーを単純に楽しむことを一番に考えていたと思う」と話す。

 しかし、福田がドイツ行きを決めたのは、その高校最後の大舞台からさらに1年ほど前のことだった。アンダー世代での代表に選ばれたことなどから海外クラブからの注目もあり、トライアルへ参加する運びになった。そして、そこでのプレーが評価されてオファーを勝ち取ることになる。すでにJリーグのクラブでキャンプなどの練習参加を経験していた福田は、なぜそのような進路を選んだのだろうか。

「将来的に海外に行きたいと考えていて、それなら早いうちに行って経験した方が良いと逆算した結果」

「将来的に海外に行きたいと考えていて、それなら早いうちに行って経験した方が良いと逆算した結果。ドイツの前はJリーグに行きたいなと思っていた。(Jクラブへの)練習参加ではレベルが高くて何もできなかった。シュート以外の部分でフィジカル、パススピード、プレースピードも足りなかった。ただ、こっちではセカンドチームから育成してくれるというのを聞いて、成長したいと思ったのもそうだし、試合に出たい。試合に出続けるのは若い世代では大事だと思っていたので、自分自身がいいなと思える話をもらったと思う」

 そこからは、ドイツ行きへ向けた準備が始まった。トライアルで痛感したのはフィジカル的な部分の差だった。だからこそ、「意識を変えて筋トレもした。朝から始発で学校に行って、朝から自主トレをしていましたね」と話す。その結果、高校3年生のスタート時点で65キロだった体重は、実際に旅立つまでの1年間で3キロから4キロ増えたという。その後、ドイツでも続けている努力により現在は74キロまで増えたと話すが、目標を定めての努力を積み重ね、準備を進めた。

 そしてドイツに到着すると、まずはセカンドチームではなくU-19世代のチームに合流した。「ほぼ同い年の選手だったので、できていましたね」という中で感じたのは評価のされ方の違い。Jクラブの下部組織でもなく、学校という場でサッカーをしてきたことから「高校の時は日常生活でも頑張っている人を評価する感じだけど、こっちに来たら日常生活よりもサッカーの結果だった」と話す。では何によって解決したのかと言えば、「最初はボールも出てこないし、どうしたらいいかというのを探した結果、ゴールを決めたら皆も喜んでくれるし、パスも出てくる。やっぱり、ゴールなんだなと」。ある意味では、最もストライカーらしい形で新天地での立場を作っていった。そして、約半年後の2023-24シーズンは地域リーグ(4部相当)で戦うセカンドチームでプレーするのが当たり前になった。

「毎日のトレーニングが楽しみだった。たまにトップチームの人数が足りなくて一緒に行くこともあった。ここで結果を残せば上げてもらえるという思いだった」

福田師王はドイツで着実に成長をしている【写真:岩本大成】
福田師王はドイツで着実に成長をしている【写真:岩本大成】

トップデビューではドイツの強豪と実際に対戦

 それは現実のものになった。2024年1月28日、ブンデスリーガの首位に立つレバークーゼン戦で途中出場のピッチに立ち、トップチーム、1部でのデビューを果たした。翌週には2位につける誰もが知る名門バイエルン・ミュンヘンとの試合にも約5分だが出場する。さらに5位のライプツィヒ戦でも途中出場し、しばらくチャンスは訪れなかったがシーズン最終盤にも2回の途中出場があった。

 福田は「トレーニングで慣れるのが一番大事だったと思う。4部と1部ではすべてが変わるので、体験したこともないようなことが多かった。日々、追い付くのが大変だった。ゴール前の部分ではトレーニングで点を決めていたので、そこが監督の目に留まったかなと思う」と、チャンスを勝ち取った要因を自己分析する。

 そして、強豪との対戦は「楽しかったですよ。ああいうトップレベルの選手と対戦できたのもそうだし、高校の時なんかにゲームで使っていた選手が目の前にいる。凄い気持ちというか、なんだかよく分からない不思議な気持ちでしたね。本当にあっという間に終わってしまった」と振り返った。

 今季はセカンドチームで6試合3ゴールの結果を残しているものの、トップチームでは出場機会は得られていない。それでも今は「チャンスがあると思っているし、練習から常にやれている。あとは出た時に何ができるかだと思っている」と話す。

 まだ20歳の若武者だが、着実にドイツで成長を続けている。

[プロフィール]
福田師王(ふくだ・しおう)/2004年4月8日生まれ、鹿児島県鹿屋市出身。同県の名門・神村学園中等部から高等部へ進学。全国高校サッカー選手権で一躍注目を浴び、国内外で争奪戦となった。卒業後はドイツのボルシアMG入りを決め、24年1月にトップ昇格。年1月28日、強豪レバークーゼン戦で途中出場してブンデスデビュー。23年にはU-20ワールドカップに出場した。

(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)



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