報道陣前で…J1名将が号泣「すごく辛い」 電話口で受けた謝罪、苦悶し訴えた「誰も責められない」【コラム】
川崎の鬼木達監督が極限状態で思わず涙…脳裏に蘇える2021年夏のこと
8年にわたって川崎フロンターレを率いた鬼木達監督との旅路がいよいよ終わる。
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多くの記録を塗り替え、歴史を作り上げてきた時代だっただけに、嬉しかった思い出は挙げればきりがない。ただチームが苦しかった時期の記憶も、同じぐらい脳裏に蘇ってくるから不思議である。
例えば、指揮官が試合前の取材中に涙したことがあった。忘れられない出来事の1つだ。
それは2021年夏のこと。
前年からの新型コロナウイルスの影響により、この年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)はウズベキスタンでの集中開催だった。チームは約3週間の滞在を終えて帰国したが、その後も2週間の隔離期間があった。選手たちは自宅に戻れず、隔離生活と厳しい行動制限で過ごさなくてはいけない。しかも国内の試合をすぐ消化しなくてはいけない日程だった。
乾燥していたウズベキスタンと異なり、7月の日本は蒸し暑く、さらに時差も4時間あった。身体のリズムも十分に戻っていないなかで迎えたのが、7月17日のIAIスタジアム日本平でのリーグ第18節の清水エスパルス戦。問題は試合前にイレギュラーな事態が起きていたことだった。
帰国後の検査で、スタッフに新型コロナウイルスの陽性反応が出たのだ。判明した翌日にあたる試合2日前のトレーニングは急遽、中止に。すべての陰性確認ができるまでは、チーム全員が部屋に閉じこもる形で過ごすことになった。つまり、試合前々日にもかかわらず、トレーニングは出来なかったのである。チーム関係者に陽性反応が出たのは、前年を含めてもこれが初めてのことだった。
試合に向けた準備と言える準備が出来たのは、前日のみ。そんな清水戦の試合前、鬼木監督は選手たちにこんな言葉をかけてゲームに向かわせている。
「いろんなものを乗り越えて力に変えていこう」
こうした試練を自分たちのパワーにしていこうと鼓舞した。選手たちは「やれることはすべてやった」と前向きに捉えて臨み、試合は2-0で勝利している。
限られた記者が取材中「すみません、何か」…気丈に振舞った指揮官
ただ苦難はこれで終わりではなかった。息つく間もなく中3日で天皇杯3回戦のジェフユナイテッド千葉戦が控えている。今度はスタッフ2名に続き、選手1名が新型コロナウイルスの陽性診断となってしまったのだ。選手からも陽性者が出てしまったのである。
帰国後の隔離生活に加えて、さらに選手からも出てしまった陽性者。この一戦に向けたオンラインでの囲み取材に対応した鬼木監督は、「動揺がないというと嘘になる」と認めながらも、その心境について率直な思いを述べていた。
「イレギュラーで大変なことだと思いながらやってます。実際、今は選手のコンディションを確認する作業しかできていないです。ACLを向こうで戦ってタフな戦いをして、かなり疲れた状態で帰ってきました。また日本に帰ってきて、いろんな面でやっとホッとできる時間かなと思いきや、自分たちでコロナとの戦いになってしまった……メンタル的なところはかなりきついと思います」
かつてない苦難に直面し、チームは極限状態にあった。
心身ともにチームが疲弊していることは、オンライン取材で画面越しの鬼木監督の表情からも読み取れた。「本当に……本当に……」と前置きして、苦悶の表情で絞り出すように気丈に話し始めている。
「その中で選手は、本当に……本当に……力を振り絞って勝ってくれました。それはACLで戦った成果かなとも思います。こういう状況でも選手だけではなく、スタッフも含めてチーム一丸になっているのは素晴らしい。みんなの力だなと改めて思ってます」
チームが試合に勝てていないわけではない。むしろ勝ち続けていた。それも、Jリーグの歴史に残るほど、圧倒的な勝ちっぷりを見せての首位だった。にもかかわらず、感染者が出てしまったことでチームは苦しみの中にいた。
誰かが規則違反をしたわけではない。隔離生活で、全員が行動制限がある中で感染してしまったのだが、チームに迷惑をかけたと責任を感じた彼らは電話口で謝罪してきたという。それも涙ながらに。
「誰もが可能性のあったなかで、こういう形になってしまった。本当に、誰にも責任がない。そういう話をしました。これだけ行動制限があるなかでなったので、これは誰も責められない。むしろここから感染してしまった人たちが……やっぱり、僕は彼らに電話をしたんですけど、必ず『すみませんでした』とか、そういう言葉が返ってきて……」
当事者と交わしたやりとりが脳裏に蘇ってきたのだろう。次の瞬間、画面越しの鬼木監督は感情を堪えきれなくなっていた。
「そういう言葉を言わせるのが……すごく辛くて……清水戦も、そういう人たちに心配をかけないようにというか、勝てば申し訳ないという気持ちもなくなるから必ず勝とうという話をして、本当に誰も責められないから頑張ろうと話をしていました……すみません、何か」
指揮官は言葉に詰まりながら、落涙していた。そして涙を拭い始めている。画面越しにいるこちらは、ただただ聞くことしかできなかった。
繰り返すが、この時期のチームは圧倒的に勝ち続けていた。にもかかわらず、現場を任されている指揮官は、涙ぐむほどに追い詰められている。サッカーの試合とはそこまで追い詰められながらも、やらなくてはいけないものなのだろうか。そんなことを考えさせられるような鬼木監督の涙だった。
「タイトルはみんなで努力した結果のもの」
この出来事はほとんど知られていない。この日のオンライン会見は、東京五輪開幕直前の時期であり、しかも天皇杯3回戦ということもあり注目度が低く、出席している記者もごく限られた人数だったからだ。新聞やウェブなどの記事にもなっていなかったはずである。
迎えた天皇杯3回戦の千葉戦は、文字どおりの死闘だった。延長戦までの120分を戦い抜き、最後はPK戦の末に勝ち上がりを決めている。前年度の天皇杯チャンピオンらしい戦いぶりではなかったが、それでも川崎は勝ち上がった。試合後の会見での鬼木監督は、画面越しにこう力を込めている。
「みなさんに分かっていただきたいのは、ACL後の隔離生活で、本当に言葉では表せないほどいろんな辛い状況、バブルの中でコロナが出たりと、伝わらないことが多いと思います。そういうなかでも選手が120分、プラスPK戦で勝つ。その姿は凄いことなのだと、なんとか伝えたいと思います。彼らの頑張りに感謝したい」
苦しみ抜いたシーズンだったが、チームは2度目のリーグ連覇を達成。仲間とともに笑顔で終えることができている。ただ、あの時の鬼木監督の落涙は、忘れられないシーンとして自分の中で刻まれている。
鬼木監督が在籍する8年の間、クラブが獲得したタイトルは合計7冠だ。リーグ優勝が4回、天皇杯が2回、そしてルヴァンカップが1回。それまで無冠だっただけに、指揮官の功績はあまりに偉大である。
それでも鬼木監督はそれを自分の手柄だと言うこともない。タイトルは自分の力ではなく、みんなで掴んだものだと謙虚に言い続ける。
「自分がクラブにタイトルをもたらしたとは思っていません。タイトルはみんなで努力した結果のものなので。サポーター含め、クラブの仲間と一緒に獲れたっていう思いがやっぱり強いです。クラブに何かを残したかと言ったら、自分の中ではタイトルよりもむしろ日々の情熱や熱量。それを選手や近くにいるスタッフが少しでも感じ取ってくれたのであれば、それで貢献できたのかなという思いです」
指揮官が残してくれた日々の情熱や熱量。クラブに関わる全員が、こうした思いを受け継いでいって欲しいと願っている。
(いしかわごう / Go Ishikawa)
いしかわごう
いしかわ・ごう/北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。