欧州挑戦で思わぬ現実「話が違うだろ」 過酷な練習、出番わずか31分間も「移籍して良かった」【インタビュー】

ボルシアMG在籍時の大津祐樹氏【写真:Getty Images】
ボルシアMG在籍時の大津祐樹氏【写真:Getty Images】

元日本代表MF大津祐樹氏が回想、ドイツ名門ボルシアMG移籍の意義

 元日本代表MF大津祐樹氏がドイツの名門ボルシアMGの扉を叩いたのは2011年夏のことだった。移籍前はチームが大不振に陥っていたこともあり、即戦力となる希望をもって新天地に乗り込んだが、待っていた現実に「話が違うだろ……と正直思った」と当時の心情を明かす。それでも「移籍して良かった」と言い切る背景には「日本では味わえない体験」があった。(取材・文=城福達也)

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 今では欧州リーグに挑むキャリアを夢見る選手が多いなか、若き日の大津氏は「海外挑戦への気持ちが強かったわけではなかった」という。

 高校卒業後に加入した柏レイソルでは、2年目から快速ドリブラーとして頭角を現した。負傷離脱を繰り返しながらも、ひとたびピッチに立てば幾度となくサイドを切り裂く突破力で存在感を示し、結果も残してきた。それでも、ロンドン五輪のアジア最終予選の招集メンバーから落選することになった。

「ロンドン五輪を目指す世代別代表のメンバーから落選した時に、何かを変えなければいけないと思った。もちろん、レイソルの環境は素晴らしく、居心地も良かった。ただ、自分の成長には新しい環境への挑戦が必要だと感じた。もともと海外からのオファーの話はちらほらあったなかで、代表落選で海外挑戦の決心が固まった」

 当時の五輪代表メンバーでも、海外組は数えるほどしかいなかった。大半がJリーグで活躍している選手で構成されており、海外に身を置いていることがアドバンテージとなる環境では決してなかった。ある意味、Jリーグで主力として安定的に活躍していくほうが、代表への近道と言えたかもしれない。それでも、大津氏が最終的に決断したのは、ブンデスリーガの名門ボルシアMGへの移籍だった。

「イタリアや、ほかのドイツのクラブからも打診があったが、最も名の知れたクラブがボルシアMGだった。当時は不振に陥っていて、残留争いをしている立場だったので、すぐに自分にも出場のチャンスがあるかもしれないと考えた」

 当時、GKマルク=アンドレ・テア・シュテーゲン、MFマルコ・ロイスら若き有望株や、国内屈指のアタッカーだったFWフアン・アランゴといったタレントを擁していたボルシアMGだが、前年の2010-11シーズンは16位に沈み、プレーオフでかろうじて勝利して残留したものの、国内屈指の名門が降格にあと一歩まで迫る大不振に陥っていた。

 各所関係者や代理人と話し合い、自分でも可能な限りリサーチし、再建に向かうボルシアMGであればチャンスも巡ってくる可能性を見出した。しかし、現地に足を踏み入れると、想定とは大きく異なる光景が広がっていた。

ボルシアMGの練習の厳しさを振り返った【写真:Getty Images】
ボルシアMGの練習の厳しさを振り返った【写真:Getty Images】

アザだらけの日々 「日本ではありえない」

「加入したシーズンのボルシアMGが、めちゃくちゃ強かった。話が違うだろ……と正直思った。実際、前年16位でギリギリ残留したチームが、その年は4位フィニッシュだった」。2011-12シーズンは前年とは打って変わり、快進撃を見せたボルシアMGは最終的にトップ4入りを遂げた。海外に挑んだ1年目、大津氏はリーグ戦3試合、時間にして合計31分間の出場にとどまった。

 日本で多くの試合をこなしていた立場から、ドイツを訪れて出場機会が激減し、なかなかトップチームのピッチに立てない日々に悶々とした感情を抱いていた……と思いきや、「毎日が楽しかった。日本では味わえない体験だった」と晴れやかな表情で当時を振り返る。

「ハイレベルな環境でボールが蹴れて、最先端の練習メニュー、あらゆることが勉強になった。少なくとも当時は、日本とは真逆の世界で、ブンデスリーガのレベルの高さを肌で感じられて、挑戦して良かった、経験できて良かったと思うことができた」

 出番がなくとも充実した日々を過ごせていたのは、刺激的なトレーニングにあった。世界レベルで戦うチームメイトと本気で削り合う、文字どおり、毎日が生き残りを懸けたサバイバルだった。

「練習で身体中が傷だらけになる。そんなこと正直、日本ではありえない。毎日アザだらけで帰宅していたし、試合よりも練習のほうが激しかったかもしれない。その日々の強度の高さには驚かされたし、その強度の高い環境下でどれだけ違いを発揮できるかが“技術”の認識だった。価値観が変わったし、その経験が先のキャリアにもつながったと思う」

ボルシアMGの練習が「五輪で活躍できた理由」

 その後、目標としていたロンドン五輪の代表メンバーに選出された大津氏は、本大会で圧倒的な強度の高さを示し、チーム得点王に。ベスト4入りを果たす快挙の立役者となった。「五輪の最中でも、明らかに成長できていると実感できていたし、五輪で活躍できた理由だった」と、ボルシアMGで手にしたものも大きかった。

 もしも2011年当時、チームがリーグ4位に入るほどの強さを誇り、出番がほとんどない可能性があることを事前に知っていたならば、移籍に踏み切ったのか。大津氏に質問をぶつけると、「うわ~、絶妙に難しいですね(笑)」と数秒考え込んだあと、「でも、やはり挑戦していたでしょうね」と精悍に答えた。

「当時はボルシアMGが低迷しているからチャンスがあるという理由付けも確かにあった。でも、自分より上手い選手がたくさんいる強いチームに身を置くことが大切だったと、今では思えるので」

 選手として、出場機会の確保は言うまでもなく重要なことだ。当然、ピッチに立つことでしか得られないものがある。その一方で、キャリアプランを長期的に見据えた際、たとえ出番が限られていたとしても、在籍するのが短い期間だったとしても、トップレベルの選手たちとともに、トップレベルの環境に身を置いてサッカーと向き合うことは、決して遠回りにはならない。

 

【大会名】PK最強決定戦 in 川崎
【開催日程】2024年12月15日(日)
【会場】富士通スタジアム川崎(神奈川県川崎市川崎区富士見2-1-9)
【賞金・賞品】優勝チーム賞金:100万円
【募集チーム】200チーム(先着順)
※1チームあたり2名以上5名以下の人員で編成すること
【大会公式HP】https://assist-sports.com/pk-saikyo-2024/

(城福達也 / Tatsuya Jofuku)



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大津祐樹

おおつ・ゆうき/1990年3月24日生まれ、茨城県出身。180センチ・73キロ。成立学園高―柏―ボルシアMG(ドイツ)―VVVフェンロ(オランダ)―柏―横浜FM―磐田。J1通算192試合13得点、J2通算60試合7得点。日本代表通算2試合0得点。フットサル仕込みのトリッキーな足技や華麗なプレーだけでなく、人間味あふれるキャラで愛されたアタッカー。2012年のロンドン五輪では初戦のスペイン戦で決勝ゴールを挙げるなど、チームのベスト4に大きく貢献した。23年シーズン限りで現役を引退し、大学生のキャリア支援・イベント開催・備品支援・社会人チームとの提携・留学などを行う株式会社「ASSIST」の代表取締役社長を務める。2024年から銀座の時計専門店株式会社コミットの取締役に就任。

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