5シーズン指揮のJ1監督「1か月で作った」 “積み上げ”が生んだ軟性、退任も愛された“証”
福岡の長谷部監督は今季限りで退任
アビスパ福岡は11月30日のJ1リーグ第37節で浦和レッズと対戦し、5シーズン指揮を執った長谷部茂利監督にとって最後のホームゲームを1-0で飾った。その積み上げを感じさせた部分もある試合だったが、長谷部監督自身は試合後の記者会見で、ベースの部分について「4年、5年で作り上げたのではなく1か月で作った」と話す。そこが確立されているからこその引き出しが生まれていた。
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長谷部監督は現役時代にヴェルディ川崎やヴィッセル神戸などでプレーし、指導者としてはジェフユナイテッド千葉や水戸ホーリーホックの監督を歴任して20年に福岡へ。J2降格とJ1昇格を繰り返しがちだったクラブを堅守で安定させてJ1に定着すると、23年にはルヴァンカップでクラブ初タイトルを獲得した。今季限りでの退任がすでに発表されている監督に対し、サポーターはバックスタンドにクラブカラーを用いた「2020-2024 OBRIGADO」のコレオグラフィーを掲出。長谷部監督の在任期間とポルトガル語でありがとうの意味を持つメッセージを作り上げていた。
最終的には1万7161人の観衆で、スタジアムは空席を見つけるのが難しい状況に。それでも指揮官は「嬉しかったと言いたいですが、周りを見る余裕がなかった。これまでと違う雰囲気で、選手より私が緊張していたかもしれない」と苦笑いした。
試合は開始から30分ほどは浦和がかなり押し込む展開で、福岡はプレスがハマらず浦和に前進され、ボールを奪った後もカウンタープレスを受けて自陣に閉じ込められる状態になっていた。しかし、徐々に守備を修正すると盛り返し、前半40分には機能し始めた形から高い位置でボールを奪い取り、そのままの攻撃でMF紺野和也が先制点を奪った。浦和の一部選手は「福岡がマンツーマン気味に変えてきた」と話した。それを会見で伝え聞いた長谷部監督は少し首をひねったものの、時間をかけて積み上げてきた部分とベースの違いについてこう話している。
「4年、5年で作り上げたのではなく1か月で作りました。来て、キャンプも含め切り替えなどベースのところはプロサッカーの試合をするうえで絶対に必要なので、もっともっと早く作ったつもり。ただ、選手やピッチ、相手も変わるなかで自分たちが何をしたいか、どうやったら対等に戦えるチームになるかを選手たちと合わせた。
今日は守備面で最初にうまくハマらなかったですが、話をしながら、選手同士で今までの引き出しからこのカードを切ろう、こういうやり方をしようと、変化を加えながらできた。ベースがあれば臨機応変に柔軟なこともできる。アビスパ福岡は最初の1か月で作ったベースがありますが、そこから柔軟に対応できるようになったのは今季で言えばシーズン終盤、5年間で言えば2年目や3年目からだったと思う」
試合の最終盤ではいくつかカウンターで2点目を奪うチャンスがあったが決まらず、逆に試合終了間際にはDF井上聖也がクリアを試みたボールが相手FW二田理央にあたり、そのまま二田のラストパスをゴール前でMF本間至恩が合わせる特大のピンチを迎えてしまう。本間のシュートが外れ事なきを得たが、その少し前の時間帯から長谷部監督は2点目を狙うよりもコーナー付近でのキープを指示していた。
その理由について「後半45分が経過するまでに得点チャンスが3回あった。そこで取れないなら、試合の流れとしては追い付かれるパターン。最後、取られなかったがそういうことが起こるのが、今日の終盤にあった1点差のゲームだと思う。自分なりだけど、私はそれが分かるからそうしている。分からなければ、追い付かれる、逆転されると思ってそうする」と話す。そうした流れを呼んだ采配というものは、この5シーズンでJ1への昇格、残留争い、あるいはルヴァンのタイトル獲得といった勝負所のゲームを制してきた一因と言えるかもしれない。
「試合が終わった時、点数を取った時の大歓声は、より今日は伝わってきて嬉しかった」と表情を緩めた長谷部監督は今季限りで福岡を離れるものの、他クラブからオファーの報道もある。今後について問われると「どこかで仕事をしたいですね。歌うことも踊ることもできないですから、監督を続けたい。また皆さんとお会いすることもできると思います。その時はまた、よろしくお願いします」と、軽妙な言葉を重ねつつ微笑んでいた。
(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)