プロ入り諦めた兄の言葉に「救われた」 地元で有名な3兄弟…元日本代表が明かす絆【インタビュー】
元日本代表MF清武弘嗣が築いた兄弟間の関係性
サガン鳥栖に所属する元日本代表MF清武弘嗣は、幼少期から注目を集める才能の持ち主だった。その実力が注目を浴びてきた一方、地元では幼少期の頃から「清武3兄弟」として、広く名が知られていた存在。プロ入り後も「仲が良い」という兄弟間の関係性を訊いた。(取材・文=河合 拓)
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清武3兄弟の父・由光さんはもともと地元のサッカークラブで指導者をしており、4つ年上の兄・勇太、1つ下の弟・功暉とともに自然とサッカーを始めた。
「兄とは4つ離れていたので、小学校以外は重なっていないんですけれど、ずっと一緒にサッカーをしていた感じがあります。父を含め、兄、弟、みんなでサッカーをしていましたね」
兄・勇太の年代は全国大会に出られなかったが、弘嗣は「最後の九州大会だったり試合を見ていて『すごいな』というのは感じていました。ずっと『目指すべき存在』として見ていた感じでした」と、憧れであり、目標のような存在だったと振り返る。
2012年に鳥栖に加入してプロのキャリアをスタートさせた功暉を含め、3兄弟は今も仲が良く、3人が今もプレーしているサッカーの話や家族の話をよくしているという。また、オフには一緒に写真を撮ってSNSにもアップして話題を呼んでいる。
「兄ちゃんが、僕にも、弟にも、めっちゃ優しいので、昔も今もめちゃくちゃ仲が良い」と弘嗣は言う。「サッカーを教えあったりはしなかったのですが、父が怖かったし、めちゃくちゃ厳しかったので、逆に兄弟の絆が深まりました。父が(兄弟が仲良くなるために)狙ってやっていたのかどうかは分かりませんけど」と、幼少期の父の指導が兄弟の仲の良さにつながったと笑った。
中盤のチャンスメーカーとして活躍する弘嗣だが、兄と弟はともにストライカーだったという。
「兄ちゃんは、ガッツリFWでしたね。功暉も小学校時代も僕らの年代に上がってプレーしていましたし、本当に点取り屋でした。ゴール前に入っていく感覚や動きは全然、僕が持っていないものを持っています。2人とも僕とはプレースタイルが全く違いましたね」
3人はともにプロサッカー選手を目指して弘嗣と功暉はJリーガーになったが、兄弟全員がプロになることもできたはずだったと弘嗣は振り返る。
「兄にも高校を卒業する時に、そういう話があったと思うんです。兄が高校を卒業する時に兄と進路の話をしていたことを覚えています。でも、当時はサッカーをずっと長くやることに対してなかなか厳しい見方があって、大学を出ることやセカンドキャリアに備えることが先に来ていました。
4年経って、僕の時はだいぶ変わっていたのでプロにも行きやすくなっていました。昔は『サッカー選手としてクビになったらどうするの?』ということが、すごく注目されていて、もちろん今も、そういう問題はゼロではないと思いますが、Jリーガーのセカンドキャリアも今はいろいろな幅がありますし、理解もされていると思います」
共通の目標サッカーが「兄弟をつなげてくれた」
Jリーグが歴史を重ねたことでサッカー選手が職業として認められ、自身がプロキャリアをスタートさせることができたという弘嗣は、プロになってからも兄の言葉に救われることがあったという。
「常に楽しんだらいいよというのは言ってくれるんで、その言葉にはすごく救われますね。勝負の世界なのでね。サッカーを楽しまないといけないと思う反面、結果も出さないといけないので、そういうのはすごく連絡くれたりする時は嬉しいし、救われます」
現在、勇太は九州サッカーリーグの日本製鉄大分サッカー部に所属。鳥栖からロアッソ熊本、ジェフユナイテッド千葉、徳島ヴォルティス、FC琉球とJクラブを渡り歩いた功暉は、関西2部おこしやす京都ACに在籍してサッカーを続けている。
弘嗣は「同じ共通の目標が小さい頃からずっとあったし、サッカーが兄弟をつなげてくれている部分がありました。今でもカテゴリーも違いますけど、サッカーのことについても話しますし、そういう共通のテーマが持てているのは、すごくありがたいなと思います」と言い、「今年もゴルフは父と兄弟3人で行きます。年末恒例なので。ゴルフは父と功暉がうまいんですよ。僕と兄貴はどっこい、どっこいですね」と笑った。
[プロフィール]
清武弘嗣(きよたけ・ひろし)/1989年11月12日生まれ、大分県出身。大分トリニータU-18―大分―セレッソ大阪―1.FCニュルンベルク(ドイツ)―ハノーファー96(ドイツ)―セビージャFC(スペイン)―C大阪―サガン鳥栖。卓越したテクニックと攻撃センスを武器に持つ日本屈指のMF。U-23日本代表としてロンドン五輪、日本代表では2014年のブラジル・ワールドカップを経験した。
(河合 拓 / Taku Kawai)