中学逸材CBに思わぬオファー…告げられた「FW転向」から飛躍、強豪校3年エースの出世街道
鹿島学園のエース山本葵が歩んだ中学→高校入り後の歩み
第103回全国高校サッカー選手権茨城県予選決勝、タイムアップのホイッスルが鳴り響いた瞬間、敗れた鹿島学園のエースストライカーの山本葵はその場に崩れ落ちて涙を流した。試合後、解散式を終えたチームバスの前でも涙は止まらない。だが、彼は気丈にも取材に答えてくれた。
「僕たちの代は試合に出ている3年生が少ないし、辛い時もありましたが、どんな時もみんなで声を掛け合ってやってきました。だからこそ、自分のゴールで勝たせられなかった悔しさがあります」
山本が言うように決勝のスタメンで3年生は彼を含め6人、ベンチは9人中3人と1、2年生がメンバーの多くを占めていた。特に2年生は注目の世代で、プロ注目のCB(センターバック)齊藤空人、DF清水朔玖、攻守の要の西川大翔、10番を背負うMF松本金太朗とタレント揃いで、プリンスリーグ関東1部でも多くの2年生がピッチに立ってきた。
その中で昨年からストライカーとして君臨する山本は、最終学年を迎えてフィジカルとスピード、そしてゴールへ向かう迫力が格段に向上して、鹿島学園のエースストライカーとして下級生が多いチームを最前線から牽引し続けた。
「まだFWとして経験は浅いですが、チームのために身体を張る、どんどん前に向かっていって相手の守備を押し込むことを意識しています」
こう口にするように彼は中学時代まで179センチのサイズとフィジカルを活かした空中戦と対人能力の高いCBだった。「時々FWをやっていました」と、チーム状況に応じてFWのオプションを持っていた山本は、所属していたFCアビリスタU-15と鹿島学園の1年生チームとのトレーニングマッチでたまたまFWとして出場をしていた時に、そのプレーを評価されて鹿島学園から声が掛かった。
「どっちも問題はなかったのですが、FWとして評価をされて入学しましたし、入ってからもスタッフの方から『FWのほうが適している』と言われたので、そこで勝負をしようと思いました」
鹿島学園のストライカーといえば、日本代表のエースストライカーである上田綺世という偉大な存在がいる。当然、山本も意識する存在となった。
「上田選手のようにポストプレーもできて、裏抜けもできて、かつ点が取れる選手になりたいと強く思いました。そもそも鹿島学園のFWは上田選手以外にもたくさん点を取っているイメージがあって、チームを勝たせる重要な存在であると理解していたので、3年間で頼れる選手にならないといけないと自覚が生まれました」
FWの動きを覚えること、周りとの連係を合わせることはもちろん、持ち味であるスピードとフィジカルを活かしたハードワークと対人だけは武器として磨き続けた。スタッフ陣にも動き方やタイミングなどを貪欲に聞いて、徐々にエースとして成長していった。
日本代表エース上田を間近に「このタイミングで?」と驚き
上田がオフを利用して学校のグラウンドに練習参加にやってきた時も、常に上田の動きを見逃さずに頭の中に叩き込んだ。
「緊張して直接話すことはできなかったのですが、練習を一緒にやれるという貴重な時間を無駄しないように学んでいました。動き出しの質、ファーストタッチ、ボールを受けてからの身のこなし、プレーの強度の次元が違いました。動き出しのタイミングは凄まじくて、パスの出し手の顔が上がった瞬間で動き出していて、『このタイミングで?』と驚きました。もちろんシュートも凄まじくて、このレベルに達しないと世界のレベルではやっていけないのだなと思いました。正直、上田選手と僕の距離はめちゃくちゃ遠いのですが、僕は1つずつしっかりとやるべきことをやって少しでも近づいていけたらなと思っています」
理想像を持ちながら、自分なりの歩幅で一歩ずつ着実に。今年1年間、鹿島学園のエースストライカーとしてチームを牽引した彼にとって、決勝での敗戦が高校サッカーの終わりではない。ここからプリンスリーグ関東1部残留をかけた決戦が残っている。負けは許されない状況にある。これまでリーグ6ゴールを挙げているエースの奮起は必要不可欠だ。
「昨年は3年生が同じように選手権予選で負けたのに、最後までチームのために頑張ってくれたからこそ、ギリギリで残留を掴むことができた。本当に尊敬する3年生たちだったからこそ、僕らもこの負けをいつまでも引きずらないように切り替えて、後輩たちのために最後まで全力でやり切ります」
エースストライカーとして最後まで走り切り、その先の大学サッカー、そしてプロへと駆け抜けていく。大学経由してプロ、世界へと羽ばたいて行った上田綺世先輩のように。
(FOOTBALL ZONE編集部)