11月シリーズで散見された不安定な守備 板倉滉へ注文…継いでほしい日本代表“闘将の系譜”【コラム】

日本代表の板倉滉【写真:Getty Images】
日本代表の板倉滉【写真:Getty Images】

谷口が怪我で不在だったインドネシア戦、中国戦で機能しなかった守備組織

 2024年の日本代表戦が19日の中国戦(厦門)で終了した。今年は16試合(3月26日のアウェー・北朝鮮戦の不戦勝含む)を戦って13勝1分2敗。その2敗は1月から2月にかけて行われたアジア杯(カタール)のイラク戦とイラン戦だ。

 低調だったアジア杯の頃は「ここからの2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選は大丈夫なのか」と誰もが不安視したことだろう。しかし、そこから日本代表はV字回復を見せ、9月からスタートした最終予選では6試合を消化して5勝1分の勝ち点16。首位独走で、2025年3月に予定されている次戦・バーレーン戦(埼玉)に勝てば、8大会連続出場が決まるところまで来ている。

 その要因としては、6月から導入した3バックによる攻撃力アップ、遠藤航(リバプール)と守田英正(スポルティング・リスボン)のボランチコンビの安定感、2シャドーの多彩な組み合わせによるパターンの変化、長友佑都(FC東京)の代表復帰によるチームの雰囲気の変化など、さまざまなポイントが考えられる。守備陣の落ち着きも大きなポイントと言えるだろう。

 GK鈴木彩艶(パルマ)の短期間での急成長、谷口彰悟(シント・トロイデン)を3バック中央に据えた連動性の高さ、板倉滉(ボルシアMG)と町田浩樹(ユニオン・サンジロワーズ)のクレバーな動きが光り、10月までの最終予選の失点はオーストラリア戦(埼玉)でのオウンゴールのみ。見る者を安心させる出来だった。

 ところが、谷口が怪我で離脱した11月シリーズは2試合続けて不安定さが垣間見えた。15日のインドネシア戦(ジャカルタ)では、開始9分にいきなり相手1トップのオラットマングーンと鈴木が1対1になる大ピンチを迎えた。これは守護神のスーパーセーブで事なきを得たが、板倉がアッサリかわされるなど、守備組織が機能しているとは言えなかった。後半29分にも、板倉と町田がオラットマングーンに立て続けにかわされた。最終的に飛び込んできたアルハンのシュートが弱くてGK正面に取んだため、無失点で乗り切れたが、もっとしっかりした意思疎通が必要だと見る向きも少なくなかった。

 19日の中国戦では最終予選に入って初めて流れの中から失点した。後半開始3分。右タッチライン際で田中碧(リーズ)がボールを奪えず、さらに遠藤もドリブルでかわされて右に展開された結果、3バックが左に寄ってしまい、最終的にペナルティエリア右側がぽっかりと空いた。そこに侵入したFWリン・リャンミン(11番)に決められ、一時は1点差に詰め寄られた。

「瞬間瞬間で1個2個、取れないみたいなのがあると、ああやってピンチになるみたいなのはサッカーで当たり前。勝たなきゃいけないというのは自分に求められるところ」と遠藤は反省していたが、今一度、守備組織を事細かく見直さなければいけないのは確か。現DF陣で唯一の2022年カタールW杯経験者である板倉が率先してリーダーシップを示すべきではないか。

「1対1のところで相手にボールがこぼれたのもあると思うし、最後に2対1を作られたのも課題だろうけど、その前で仕留められるところは仕留めないといけない。あとは、ちゃんと見直さないと分からないですね」。中国戦後の板倉は守備について多くを語らなかった。今回はインドネシア戦後、中国戦前と同じようなスタンスを続けていた。彼の真意は不明だが、自らに納得いかない部分があって、あえて発言を控えたのかもしれない。

 中国戦では試合を決める前半ロスタイムの2点目を叩き出すなど、勝利に大きく貢献した板倉。その仕事ぶりは称賛に値する。ただ、ここから先はもっともっと強烈に統率力を発揮してもいい。もともと彼は温厚で優しい性格で、闘将的な立ち振る舞いをしないタイプの人間だが、最終ラインのリーダーというのは、時に強気の姿勢が求められる。

宮本恒靖も吉田麻也も長谷部誠も示してきた“リーダーとしてあるべき姿”

 それは、かつての宮本恒靖(JFA会長)も、田中マルクス闘莉王も、吉田麻也(LAギャラクシー)もそうだった。吉田などは、若い頃から失点に関与するミスを犯すことが少なくなかったが、それでもメディアの前から逃げるようなことは絶対になく、つねに冷静に、時にはユーモアを交えながらプレーを客観視し、次にいち早く切り替えようとしていた。あのポジティブマインドがあったから、12年間も日本代表で戦い続けられたのだろう。

 フランクフルト時代の晩年に「日本のベッケンバウアー」と評された長谷部誠(日本代表コーチ)にしても、チームメートを怒鳴りつけるほどの厳しさを示す姿をしばしば見せていた。代表では最終ラインに入る機会はほとんどなかったが、つねに周りに目を配り、叱咤激励し、チームの窮地を救ってきたのは事実だ。そういう人間でなければ、40歳までドイツの1部で戦い続けることはできなかった。今の板倉には、最高の見本が目の前にいるのである。

 本来なら、守備陣のリーダー的役割は冨安健洋(アーセナル)が担うべきなのだろうが、2022年W杯以降、彼が代表に参戦できたのは、2023年9月のドイツ戦(ヴォルフスブルク)から2024年6月シリーズまでの限られた期間だけ。アジア杯期間中も別メニューが続き、現在も長期離脱中。今冬の移籍期間にはアーセナルから放出されるという噂まで出ている。もしそうなれば、メンタル的にも難しいだろうし、代表復帰はその後になると見られる。となれば、森保一監督もなかなか彼に負担をかけられないだろう。

 一方で、吉田が代表を離れた後、ベテランDFとして全体をまとめてきた谷口も長い離脱を強いられることになった。手術を受けており、長期間、戦列を離れることになると見込まれている。実戦復帰できたとしても、すぐにトップフォームに戻る保証はない。その2人がいつ戻ってくるか分からないのだから、板倉にはより大きな重責が託されるところだ。

「自分から声をかけてやっていきたいですし、自分だけじゃなくてチーム全員がそこをやる必要はあると思ってるので、本当にみんなで声をかけながら戦っていきたい」とインドネシア戦前には前向きに語っていただけに、28歳という円熟期を迎える2025年は“本物の守備陣のリーダー”へと変貌を遂げるべきだ。

「インドネシア戦の菅原(由勢=サウサンプトン)選手のゴールもにしてもそうだけど、普段出ていなくてもみんなが準備できている。今の日本代表はそういう集団だと思う。だからこそ、ポジション争いも激しくなる。代表はそういう場所じゃないといけない。自分も次の3月にしっかり呼ばれるように、怪我をしないでやっていきたいですね」

 板倉本人はまずはボルシアMGでの練習、試合に全力を注ぐ覚悟を口にした。そういうタフな日々の中で、日本代表の絶対的主軸、そして統率者であることを強く自覚し、人間的にも一回り二回り成長していってほしいものである。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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