「Jリーグで活躍するのは無理」15分で味わった挫折 “逆輸入21歳”浦和で3年越しの挑戦【インタビュー】
二田理央は浦和で興梠慎三や原口元気に刺激を受ける
浦和レッズFW二田理央は、サガン鳥栖U-18から直接オーストリアに渡った異色のキャリアを持つ。欧州で3シーズンを過ごして加入した浦和では、高校時代から参考にしていた存在がチームメートになった。ドイツから予想外の加入もあり、刺激的な毎日を過ごしている。(取材・文=轡田哲朗/全4回の4回目)
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18歳の夏にオーストリアに渡って3シーズンを終えた二田は、今夏に届いた浦和からのオファーに「1回日本に戻って高いレベルでやれて、クラブワールドカップ(W杯)という経験もできる。足りない部分の技術も伸ばせるし、そうすれば得意な部分も生きて1つ上のレベルに行けるんじゃないか」という思いで応じる決断をした。
欧州では長所であるスピードやスプリントの持続力を評価され、そこを生かすことをシンプルに求められてきたが、二田が求めたのは自身の課題に向き合える環境だった。それは、浦和で実現されている。
「ここの方がそういう環境はあるし、高校の時にずっとプレー集を見ていた興梠慎三さんと一緒にプレーできる。原口元気さんが来るとはその時に思わなかったけど、今は元気さんにすごく色々と言われて、悪いところをハッキリ言ってくれる。池田伸康コーチも言ってくれる。すごく実力のある選手たちもいるし、今はいっぱい吸収したい、盗めることはたくさん盗みたいと思う。慎三さんのポストプレーも、どこで受けてどういう向きでターンするとか周りを使うとかを見ている」
トレーニングでは、前線の二田に縦パスが入った時にコントロールが落ち着かないことが少なくない。なかなか興梠のようにはプレーできないし、二田の言葉の通り周囲の選手から厳しい声が飛ぶこともある。だが、それこそが課題と向き合うタイミングになっている。居残り練習も繰り返し、時には守備のアドバイスを周囲に求めることもある。それこそ、求めていた環境だった。
そして、ペア・マティアス・ヘグモ監督からマチェイ・スコルジャ監督へと交代するなかでも、出場機会を掴んで北海道コンサドーレ札幌戦では初ゴールも決めた。鳥栖の下部組織時代に二種登録され、オーストリア移籍の直前に横浜F・マリノス戦の途中出場で15分足らずプレーしたデビュー戦から3年が経っていた。
そのJ1のピッチで感じたものは、全く違ったものだったという。
「めちゃくちゃ成長できたんじゃないかなと思った。高校生の時にマリノス戦に出て、こんなに差があるのかと。1回背後に抜けて、チアゴ・マルチンスに当たって吹っ飛ばされて『え? こんなところでやれるのか?』って思った。スピードが武器だったけど、別のスピード感があってすごく差を感じた。今、Jリーグで活躍するのは無理だな、敵わないなと思ったけど、オーストリアで3年やって戻ってきたら、やれないことはないなと。その差があるかと感じたらそうではないし、自分の武器はほかの選手に勝てるところもあるなと感じられた」
たった15分間でも日本のトップカテゴリーでプレーし、当時のJ1最強センターバックに吹っ飛ばされた経験があったからこそ二田は自信を得ることができた。
キャリアの最大目標を「ヨーロッパで(UEFA)チャンピオンズリーグに出たいという目標はある」と話す二田だが、自身の現在地は「こっちに来たのを正解にしている最中なので、レッズに来て良かったと思えるように努力している」というもの。
「今はそんな先のことをハッキリ考えていなくて、成長したいという気持ち。チームのためにやっていくのはもちろん、自分が成長したいという気持ちも強いので、もう1つ上のレベルに行きたいし、もう1回海外に挑戦したい気持ちもある。トレーニングで自分がやるべきことをやって、できないことをできるようにして、強みを際立たせること。そうやって自分ができるようになることが、チームのためになるのが一番だと思う。ここで結果を残せばまた1つ上のレベルが見えてくると思うし、チームで活躍したい」
一風変わったキャリアを持ち、欧州で培った成長への貪欲さと野心を持ち合わせたストライカーが、浦和でどこまで実力を伸ばして輝きを放てるか。まだまだ粗削りだが、興味深い存在なのは間違いない。
[プロフィール]
二田理央(にった・りお)/2003年4月10日生まれ、大分県出身。サガン鳥栖―FCヴァッカー・インスブルックⅡ(オーストリア)―FCヴァッカー・インスブルック(オーストリア)―SKNザンクト・ペルテン(オーストリア)―浦和レッズ。スピードを生かしたドリブル突破を武器に、攻撃にアクセントを加えるアタッカー。欧州クラブでのプレーを経て2024年6月に“逆輸入選手”として浦和へ完全移籍した。
(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)