5部降格の泥沼「誰かがやらないと」 3度優勝→昇格できず…茨の道の先に流した涙【コラム】

JFL優勝&J3昇格を決めた栃木シティFC【写真:徳原隆元】
JFL優勝&J3昇格を決めた栃木シティFC【写真:徳原隆元】

栃木シティは今季最多の9531人を集めてJFL優勝&J3昇格を決めた

 栃木県2チーム目のJクラブが誕生した。JFL第29節が17日に行われ、栃木シティがホームでアトレチコ鈴鹿に6-0と大勝。最終節を残してJ3自動昇格となる初優勝を決めた。同時に観客数でもカンセキスタジアムに今季最多の9531人を集めて1試合平均2000人をクリア。昇格への条件をすべて満たして、悲願のJリーグ入りを決めた。

 関東リーグからJFLに上がり、1年でのJ3昇格。一気に目標の「Jクラブ」となったが、ここまでの道のりは決して順風ではなかった。昇格決定後、真っ先に胴上げされたのは「いつかJへ」と言い続けてきた大栗崇司社長(41)。「いつか、に日付を入れてくれたのは、今日集まってくれた9531人です」とスタンドの観客に感謝しながら涙が止まらなかった。

 チームの発足は1947年。日立製作所栃木事業所内に実業団チーム「日立栃木サッカー部」として創部された。2010年には「栃木ウーヴァFC」としてJFLに初めて参入したが、毎年のように残留争い。レギュレーションの変更などで救済されてギリギリ踏みとどまっていたが、17年には最下位となって関東リーグへの降格が決まった。

 Jリーグを本気で目指すきっかけとなったのが、その降格が決まった2017年11月のソニー仙台戦だった。0-7の大敗だったが、選手たちは残留のために必死に戦っていた。観戦した日本理化工業所の大栗社長は心を打たれ「誰かがやらないと」とクラブ立て直しのために社長に就任した。

 2018年に「プロスポーツクラブになる第一歩」として、Jリーグ経験者を大量補強。残留する選手も含めて全員をプロ契約に切り替えた。監督らスタッフもJクラブで実績のある人材を集めた。19年にはチーム名を「栃木シティフットボールクラブ」に改称。宇都宮をホームとする栃木SCに対し、栃木市、壬生町の栃木県南地域をホームタウンにしてJクラブにも匹敵する陣容を整えた。

 2021年にはクラブ所有の「シティフットボールステーション」が栃木市に完成。収容人員5000人のサッカー専用スタジアムで、スタンドとピッチが日本一近いというのが売りだ。専用の練習場、クラブハウス……環境面でもJクラブに負けないものを揃えた。

 もっとも、JFL復帰までは苦しんだ。実は「昇格」で最も難しいといわれるのが、地域リーグからJFLだ。全国9地域リーグの上位が集まり、超過密日程で争われる全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)。現行でJFLに昇格できるのは1、2チームと狭き門だ。

 2018年に関東リーグ初優勝した栃木シティだが、地域CLで敗退。20年には得失点差でJFL昇格を逃した。22年も3位に終わった。Jリーグを目指しながらも、JFLにさえ上がれない。選手を補強し、監督を代えても結果が出せなかった。関東リーグ2位で出場した昨年の地域CLで、ようやく優勝。18年に新体制になってから6年かかってJFL昇格を手にした。

栃木シティFC・大栗崇司社長【写真:徳原隆元】
栃木シティFC・大栗崇司社長【写真:徳原隆元】

スタートダッシュ失敗も13節以降は快進撃

 JFL昇格までの道のりと同じように、Jリーグを目指した今シーズンも苦しんだ。開幕から5試合で2勝3敗と出遅れ。一昨年から指揮をとる今矢直城監督(44)も「決していいスタートではなかった。JFLのサッカーにアジャストするのに時間がかかった」と振り返った。

 J2富山などでもプレー経験のある主将のDF内田錬平(33)は「カテゴリーで最も違うのはプレーのスピード。関東リーグに慣れていたので、最初は戸惑った部分があった」と話した。第12節では鈴鹿に1-5と大敗。Jリーグ昇格の夢は遠のいたようにも思えた。

 それでも「少しずつ慣れていって、自分たちのサッカーができるようになった」と内田。今矢監督も「選手も、私たちスタッフも、この1年ですごく成長したと思う」と話した。第13節以降は快進撃。独走状態だった高知をとらえて逆転した。この日は6ゴールで鈴鹿にリベンジ。17試合負けなしで優勝とJ3昇格を手にした。

「J3のサッカーに慣れるのも大変かもしれないけれど、今のチームでやれる自信もある。栃木のサッカーを見せたい」と今矢監督は新しいカテゴリーでの戦いを楽しみにした。内田も「スタジアムや練習場など環境は最高です。あとは選手が結果を残すだけ」と、史上最も早く2月中旬に開幕する来季のJリーグを見据えて話した。

 この日、サポーターへの挨拶で大栗社長が最初に口にしたのは、夢へのスタートとなった7年前のソニー仙台戦の光景だった。24日の最終節はその因縁の相手との「ラストマッチ」。栃木シティはJFLからJリーグへ、ソニー仙台は活動を終了してJFLを退会する。「チャンピオンとして、しっかり戦いたい」。長く苦しい7年間を思い起こすように同社長は言った。

 消滅するチームもある一方で、多くのチームがJFLからJリーグへと飛び立っていった。発足から31年、J1からJ3まで60クラブにまで成長したJリーグに来季、栃木シティが加わる。

(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)

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荻島弘一

おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。

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