欧州→浦和へ電撃移籍「ステップアップだと思う」 逆輸入21歳が迫られた“究極の二択”【インタビュー】
二田理央が浦和に加入した背景を辿る
浦和レッズに今夏移籍加入したFW二田理央は、サガン鳥栖U-18から直接オーストリアに渡った異色のキャリアを持つ。18歳で渡った欧州の地でキャリアを積み重ね、ステップアップも果たした。それでも、日本から届いたオファーに応じる決断を下す。その理由は、欧州での評価のされ方と自身の課題との兼ね合いにあった。(取材・文=轡田哲朗/全4回の3回目)
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オーストリアでの2シーズン目にザンクト・ペルテンで優勝争いを経験した。二田は「鳥栖はハードワークして切り替え速く球際で戦うというのがすごくあったけど、オーストリアのサッカーも似ていた。ボールを持ったらどんどん仕掛けて、それで相手陣地で相手のスローインになっても前進したという考えなので、自分に合っていた。チームメートも評価してくれて、ボールも出てくるようになってゴールも決められた」と、鳥栖の下部組織で学んできたことが自然にマッチする環境にあったと振り返った。
そして、日本と欧州におけるスタイルや選手の評価基準の違いについてこう話している。
「日本はどちらかというと全体的に何でもできる中で得意なプレーがあればという感じだけど、向こうは極端な感じだったかもしれない。体がデカくてフィジカルが強いけど、あんまり技術がない選手だったとしても、結構評価されていて。もちろん上にいけばある程度の技術があって、そのなかで得意な武器があってとなるけど、最初にいたレベルだと運動量は全然ないし戦えないけどビルドアップができてボールを捌けてロングボールもうまいとか、そういう選手もいた。
さすがに2部はフィジカルもあるし、強いチームもあった。サッカーは違うけど、技術があるのは日本のサッカーだと思う。向こうの選手にはそんなに瞬発力とか細かいステップが得意な選手がいなかった。でも、勢いがあるので、守備でも前からいって、それに合わせて次々に出ていくし、止まらないで突っ込んでいく感じで。そこは全然違うなと」
そうやって、自分に合っていると思えるような環境で長所を生かせていたからこそ、悩むこともあったという。それは、自身の課題だと感じる部分に向き合う時間を取れないことにあった。
「向こうで感じたのは、スピードは通用するしハードワークするところもできたけど、これからもっと上にいくために必要なことは何かと考えたら、技術面とか考えながら動くことだと思った。でも、向こうでは自主練もさせてくれないし、日本みたいに選手同士で話し合うようなこともあまりなかった。どうにかしたいと思っていた」
それと同時に、優勝争いをした翌シーズンにはチーム事情も変化した。「若さの勢いで最後に届かなかった前のシーズンの課題から、ベテラン選手ばかり獲得したんですよね。その選手たちが悪いわけじゃないけど、なんかうまくいかなくなって勝てなくなって監督が代わって、それでも勝てなくてまた監督が代わって」と、落ち着いてシーズンを戦うことができずに低迷してしまう。
「自分自身は試合に出る時間もあって成長しようと思ってやっていたけど、あと1年契約もあるしどうしようか」と考えているタイミングで届いたのが浦和からのオファーだった。そのため、今夏の選択肢はザンクト・ペルテンに残留するか、浦和に移籍するかの二択だった。
「自分の成長できるのがどっちだと考えた時に、あまり状況が変わらない、苦手な部分を伸ばせないわけではないけど、さらに突き詰めて苦手を克服して練習時間も増やせる環境、コーチもたくさんいて自分に言ってくれる人もいる環境に行きたかった」
ザンクト・ペルテンのテクニカル・ダイレクター(TD)を務めていたモラス雅輝氏には、二田がオーストリアに移籍して初年度はインスブルックのセカンドチームの監督として、移籍した2シーズン目からは選手とTDの関係で支えてもらってきた。夫人にはドイツ語を習うなど家族ぐるみでのサポートも受けただけに、「自分にとってチャンスをくれて、お世話になった方だったので、まず相談させてもらった」と話す。それでも、気持ちは浦和行きに傾いた。
二田に「どっちにいても成長できるし、ステップアップできると思う」と、双方のメリットとデメリットも伝えてくれたというモラス氏は、かつてフォルカー・フィンケ監督の通訳として浦和に在籍したことがあった。それだけに、決断を伝えた時には「日本の中でも日本じゃないような街で、日本で一番の応援があって、街でも声を掛けられるし、負けたらブーイングもある。すごく楽しいと思うよ、僕は好きだったよ」という言葉で背中を押されたのだと話した。
18歳の夏に海を渡って3年間、オーストリアでプロサッカー選手としての生活をスタートした若者は「レッズに来たのはステップアップだと思う。普通に鳥栖でトップ昇格して、そこから3年でなかなかレッズには行けない」と、“逆輸入”のキャリアを前向きに捉えて日本に戻ってきた。
[プロフィール]
二田理央(にった・りお)/2003年4月10日生まれ、大分県出身。サガン鳥栖―FCヴァッカー・インスブルックⅡ(オーストリア)―FCヴァッカー・インスブルック(オーストリア)―SKNザンクト・ペルテン(オーストリア)―浦和レッズ。スピードを生かしたドリブル突破を武器に、攻撃にアクセントを加えるアタッカー。欧州クラブでのプレーを経て2024年6月に“逆輸入選手”として浦和へ完全移籍した。
(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)