元日本代表が見据える未来「ブラジル人選手をJに送りたい」 “恩返し”を胸に生きる今【インタビュー】

最後は岐阜でのプレーとなった三都主アレサンドロ氏の長い日本でのキャリア【写真:Getty Images】
最後は岐阜でのプレーとなった三都主アレサンドロ氏の長い日本でのキャリア【写真:Getty Images】

【あのブラジル人元Jリーガーは今?】三都主アレサンドロ:第3回——現役引退後のセカンドキャリア

 元日本代表MF三都主アレサンドロのサッカー人生は、明徳義塾高等学校から始まり、清水エスパルス、浦和レッズ、名古屋グランパス、栃木SCと続き2014年、FC岐阜を最後に、21年間にわたる日本でのプレーに終止符を打った。ブラジルに帰国し、地元パラナ州にある、マリンガ、グレミオ・マリンガ、PSTCの3つのクラブを合わせて2年間プレーしたあとは、あふれんばかりの情熱とともに、セカンドキャリアを生きている。「日本で学んだことを活かしている」と語る彼の、今の活動について綴る。(取材・文=藤原清美/全3回の3回目)

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「ブラジルに帰った時、よく『アレックスさんは代表まで行ったのに、なんでそんな小さいところでプレーしてるんですか?』って言われたけど、僕はその質問の意味も分からなかった。僕が生まれた街のチームだよ。気持ちとしては、サッカーに懸ける思いの強い、あの頃の小さいアレックスのままだよって。

 自分の街でプロとして試合に出たことなかったので、39歳でその夢も叶った。子どもの頃は、ここのスタジアムであるウィリ・デイビズで試合するのが夢だったんですよ。だから、夢に向かって走って行くのはすごい大事なことなんだっていうのを今、選手たちや子どもたちに伝えながらね。自分が何をしたいか、どこまで行きたいかっていうのを、ちゃんと決めて頑張って欲しいと、いつもアドバイスしている」

 彼の言う「選手たちや子どもたち」が、第2のサッカー人生の話につながってくる。その一つが、2020年に地元マリンガで創立し、CEO(最高経営責任者)を務めるサッカークラブだ。日本の人材派遣会社アルコと組んで立ち上げた「アルコ・スポーツ・ブラジル」を前身とし、同社が方針変更して離れた今は「ガロ・マリンガ」として再スタートしている。

「自分が日本からアイデアを持ち込んだクラブで5年目にしてすごく成長してきている。ユースが強いんですよ。州でベスト4や決勝まで行くほどチーム力が上がっていて、ここからまた楽しみです」

 アレックスの役割は幅広い。

「チームにはもちろん、テクニカルスタッフもいるけど、選手には僕が常に近くにいるって感じるのが大事なことだと思う。だから、グラウンドにも立つし、スポンサー集めもCEOの仕事。魅力的なクラブになれるように頑張っています。この11月に日本に行くのは、新しいパートナーを探すっていうのもある。

 それに日本で学び、経験したことを、いっぱい取り入れているんです。日本の色があって日本人にも入りやすいから、良い選手がいたらブラジルに連れて来たいんですよ。日本人選手がブラジルでサッカーをして、その経験を日本に持って帰る。そういう夢のあることをもっと広げたいです。

 今も留学生が2、3人いるけど、もっと来られるようにしたいし、ここで育ったブラジル人選手をJリーグに送ったりもしたいです。若い選手を育てて、僕ならその選手が日本に合うかどうか分かる。でも、なかなか日本の人は若い選手を見ないんですよね。例えば、1部リーグで活躍してる選手を連れて行くんだけど、試合に出てない選手も多い。『誰が見て決めてるの?』って頭に来るし、日本とブラジルの関係をもっと良くしたい。

 前にも良い選手がいて、日本に送りたかったんだけどそれが難しくて。彼は今、中東で活躍している。日本のチームが勿体ないことしたなって思った。サッカーでは良い選手がいたら、すぐに獲りに行くクラブが出て来て、早いじゃないですか。そんな中でも、日本に送りたいという気持ちが強いですね」

インタビューに応じた三都主アレサンドロ氏【写真:本人提供】
インタビューに応じた三都主アレサンドロ氏【写真:本人提供】

ブラジルと日本で過ごした人生「すごく大事なプロセスだった」

 さらに「アレックス・サントス財団」も運営している。

「プロを目指すんじゃなくても、スポーツをしたいってありますよね。だから、色んな子どもたちにチャンスを与えて、スポーツの楽しさを伝えるっていう会社です。NGOみたいなもので、利益を求める会社じゃないんですけど、僕は日本で稼いだお金や家賃収入もあるわけですから、そういうことも頑張ってやってます」

 非常に忙しい毎日だが、彼の情熱が、話しているだけで伝わってくる。

「夢? いや、いっぱいですよ。子どもたちにも恩返ししたいし、プロチームも成功させたい。もちろん、家族のパパとしても、将来を色々考えたい。今、息子(アラン)が(東海大学附属静岡)翔洋高校にいるんです。すごく期待されてる学校なので、楽しいんじゃないかな。

 だから、パパとして、クラブのCEOとして、財団の会長として、全部結果を出せるように頑張っていきたい。スポーツを通して、みんなにチャンスを与えられたら嬉しいですね」

 そんなアレックスは今、ブラジルと日本、両国の間で生きてきた自分のことを、どう定義しているのか。

「ブラジル生まれの日本人……の気持ちを持つアレックス、そんな感じですね。ブラジルで両親に育てられたのはすごく嬉しいです。でも、キャリアとしてはずっと日本だったんですよね。だから、僕が明徳に行ったのは1つの鍵だったと思う。厳しいところで諦めずに、自分の夢を信じて走り続けたっていうのは、成長していく段階ではすごく大事なプロセスだった。

礼儀正しくするとか、良いことをしたら、良いことが返ってくるっていうことを学んだ有難みもある。そんなふうに、日本で学んだことをこっちで教えている。だから、本当にブラジル生まれで、日本の気持ちを持つアレックス(笑)」

 最後に、今もアレックスを応援している日本のサポーターにメッセージを送ってもらった。

「まだまだ日本に恩返ししていきますよ。だから、毎年日本に行って……まぁ、今の日本の子どもたちには、三都主さん『誰?』みたいなのはあるけど(笑)、それはそれで、僕がこういう顔で日本語を話して、サッカーは楽しいよっていうのを伝えられたら、恩返しになると思う。

この11月から1月も、日本でいろんなイベントをやるんですよ。どれだけ子どもたちを笑顔に出来るかが、自分にとってはすごく大事なこと。昔のアレックスみたいに、子どもたちにも熱く声かけたり、怒ったりもするし、そうしながらサッカーの楽しさをどう伝えることができるか。僕も楽しいし、親もあの三都主が自分の子どもを教えてるっていうのは、多分嬉しいし。

ブラジルのチームで、日本人の選手が活躍するのも夢だし、日本人の留学生もこっちに来て成長できるようにしたい。そういう風に、いろんなことをやりながら、日本に恩返しができるように頑張り続けますので、よろしくお願いします」

[プロフィール]
三都主アレサンドロ(さんとす・あれさんどろ)/1977年7月20日生まれ、ブラジル出身。清水エスパルス―浦和レッズ―レッドブル・ザルツブルク(オーストリア)―名古屋グランパス―栃木SC―FC岐阜―マリンガ(ブラジル)―グレミオ・マリンガ(ブラジル)―PSTC(ブラジル)。鋭い突破力と正確なキックを持ち味とする攻撃的アタッカーとして活躍。2001年に日本へ帰化。日本代表メンバーとして2004年のアジアカップ優勝、02年に日韓W杯ベスト16進出に貢献した。

(藤原清美 / Kiyomi Fujiwara)

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藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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