高3で突然の欧州行き「お母さんも『え?』って」 家族に相談せず…18歳で下した決断【インタビュー】
浦和FW二田理央は、鳥栖ユースからオーストリア行きを経験
浦和レッズに今夏移籍加入したFW二田理央は、サガン鳥栖U-18から直接オーストリアに渡った異色のキャリアの持ち主だ。Jリーガーになる目標に向けて日々を過ごしていた高校3年生の夏、急転直下のオファーが届いて人生は一変した。(取材・文=轡田哲朗/全4回の1回目)
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大分県出身の二田は高校生で鳥栖U-18に加入。親元を離れて寮に入ってサッカーに打ち込んでいた高校3年生、2021年の春は「4月か5月にトップチームの練習に呼ばれるようになったけど、絶対に上がれるという選手ではなくギリギリのところ」という立場だった。
下部組織に所属したままJリーグの試合に出場できる2種登録はされていたが、「トップ昇格したいという気持ちだけでいたけど、ギリギリだったのでユースの監督とも大学の話も同時進行で進めているくらいだったし、練習参加に行く話もあった」と、昇格を勝ち取れるか大学でサッカーを続けるか、2つの選択肢を見ていた。
しかし、6月に大きなターニングポイントが訪れる。突如として海外からのオファーが舞い込んだのだ。
「当時のGMから急に『練習が終わったあとに来て』と言われて。それで行ったら、『オーストリアのあるチームが若い日本人のストライカーを探している。どうする?』と聞かれたので、すぐに『行きます』と。それが確か6月20日くらいだったと思う。そのオファーがあったのも、自分にというよりも若くて可能性のあるストライカーを探しているという感じで、色々なチームに対して日本の代理人を通じてアプローチするなかで引っ掛かったのか、当時のGMが推してくれたのかはちょっと分からないんですけど」
あまりにも荒唐無稽な話だが、二田は即決でイエスの返事を戻した。18歳になったばかりの若者は両親に報告をすることになるが、その顛末は「電話を掛けて『オーストリアの話をもらって、チャンスと思ったから行くって言ってきたから』と。お母さんも『え?』って。『どういうこと、どういうこと?』と全く追いついていなかった」というもの。彼の両親が混乱するのも当然のことだろう。大分でプロサッカー選手を目指して頑張っているはずの息子が、海外移籍を相談ではなく決定事項の報告として電話してきたのだから。
しかし、落ち着きを取り戻したあとは受け止めてもらったのだという。「自分の意見を尊重してくれるというか、『理央がそう言うなら、そうしな』と。サッカー以外のこともやりたいようにやらせてくれる親だった。だから、普通なら『1回親と相談してみます』という返事だったかもしれないけど、小さい頃からチャレンジしたいと思ったら何でもやるようにしていたので、その時にも自分の意志で行きますと言えたのかもしれない。親に感謝しないといけないですね」と、二田は当時を思い返して笑った。
記録を見ると、二田は2021年の6月23日に行われた横浜F・マリノス戦に途中出場してJリーグデビューを果たしている。それは「デビュー前に移籍は決まっていました」という状態でのものだった。3年後に1試合でもJ1の試合を体験していたことが彼にとって大きな財産になっていたことが分かるが、当時は「その話がなければトップに上がれたのかもしれないし、大学に行っていたのかもしれない。本当に想定外ですよね」という状況のなか、オーストリアへの旅立ちが決まっていた。
意を決して渡欧したのは7月上旬のこと。オーストリア2部(当時)のインスブルックから舞い込んだ突然のオファーから数週間で欧州の地に降り立っていた。
[プロフィール]
二田理央(にった・りお)/2003年4月10日生まれ、大分県出身。サガン鳥栖―FCヴァッカー・インスブルックⅡ(オーストリア)―FCヴァッカー・インスブルック(オーストリア)―SKNザンクト・ペルテン(オーストリア)―浦和レッズ。スピードを生かしたドリブル突破を武器に、攻撃にアクセントを加えるアタッカー。欧州クラブでのプレーを経て2024年6月に“逆輸入選手”として浦和へ完全移籍した。
(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)