58歳で迎えるプロ40年目 三浦知良が現役続行…J3昇格目指す鈴鹿に必要な“カズの力”【コラム】

来季もアトレチコ鈴鹿でプレーすることを明言した三浦知良【写真:徳原隆元】
来季もアトレチコ鈴鹿でプレーすることを明言した三浦知良【写真:徳原隆元】

カズが来季の現役続行を明言

 JFLアトレチコ鈴鹿のFW三浦知良が、プロ40年目となる来季も同クラブでプレーする。鈴鹿は11日、東京・国立競技場でクリアソン新宿と対戦。カズは左足負傷のために欠場したが、試合後に自らの口で来季終了後の2026年1月まで鈴鹿と契約があることを明かした。

 今年6月に鈴鹿入りが決まった際、保有権を持つ横浜FCと期限付き移籍先の鈴鹿が発表した移籍期間は2025年1月まで。これまで、来季以降については言葉を濁していたが、この日は鈴鹿入り会見に臨んだ同じ国立競技場で「26年1月まで鈴鹿でプレーする」と明言した。

 カズは1年半の契約を「自然の流れ」と話した。鈴鹿への2年ぶりの復帰を決めたのは、斉藤浩史社長の「Jリーグ入りのために力が必要」と口説かれたからだ。鈴鹿は来年、J3クラブライセンスを申請する予定。申請が認められてライセンスが交付されれば、来季はJリーグ入りという「やりがい」のある最高の目標ができる。

 2年前の2022年1月、JFLの鈴鹿ポイントゲッターズ(現アトレチコ鈴鹿)に移籍したのは「Jリーグを目指す」という明確な目標があったからだった。前年にJ3クラブライセンスを交付されたチームの初練習で「J3昇格に貢献したい」と新天地での挑戦に意欲を燃やしていた。クラブ側もカズの加入を「J3への切り札」とした。戦力はもちろんだが、それ以上に圧倒的な知名度や人気、さらに若い選手たちに豊富な経験を伝えることも期待した。

 しかし、クラブは経営陣の不祥事でシーズン途中にJ3ライセンスを失効。チームとともにカズも最大の目標を失った。その後も「Jリーグ昇格がすべてではない」とプレーは続けたが、少なからず「やりがい」は失ったはず。兄の三浦泰年監督は弟のカズとの契約延長を望んだが、シーズン終了とともに鈴鹿を離れ、ポルトガルでの新たな挑戦を選んだ。

 昨年10月に就任した斉藤浩史社長は再びJリーグを目指すためにチームの体制を一新し、チーム名もポイントゲッターズからアトレチコに変えた。不祥事で失っていた行政やスポンサーとの関係を修復。さらに再びJリーグを目指すために必要だったのがカズだった。「J3ライセンスを取得してJリーグ入りを目指す2025年シーズン終了まで」は移籍決定時のカズと、期限付き移籍先の鈴鹿、移籍元の横浜FCの合意事項。書類上の契約期間は25年1月で、斉藤社長も「来季のことは今後、正式に発表します」と話すにとどめたが、カズ自身は「1年半の契約をしている」と明かした。

「情熱のある限り」「必要とされる限り」と現役を続けるカズだが、大切にしているのは「やりがい」だという。クラブのJ3昇格に貢献するのは大きな「やりがい」になる。Jリーグという目標ができれば「選手がひとつになれる」とカズは期待した。

 もちろん、2年前に失ったJ3ライセンスの再取得は必須。「選手は何もできない」と話したが、行政やスポンサーとの交渉でも「クラブの顔」となれるのがカズだ。今後の鈴鹿市長との面会などにも同席する予定で、クラブ側の努力はもちろんだが、カズの力も必要になる。ライセンスが得られても、上位の成績が必要。ライセンス取得クラブが増え、来季は降格してくるJ3経験クラブもライバルになる。この日鈴鹿が3-0で破ったクリアソン新宿はJ3ライセンスを持ちながら、地域リーグ降格のピンチに立たされている。「昇格もあれば降格もある。決して簡単ではない」とカズ。ただ、目指す道が険しいからこそ「やりがい」になる。

 成績とともにJ3昇格に必要なのが健全なクラブ経営と観客数。特に1試合平均2000人以上が条件になる観客数に関しては、カズの力は大きい。この日、国立競技場には1万4907人が集まるなど、集客力は相変わらず。試合を決めるゴールがなくても、ケガで離脱していても、観客数が伸び悩むチームにはカズの存在は大きな力になる。

 今季の残り2試合に「しっかり準備をしたい」と話しながらも、その目は来季に向く。「12月と1月にはキャンプを予定している。3月からのリーグ戦に備えたい」。今夏、鈴鹿入りを発表した「聖地」国立競技場で来季のプレーを公表したカズ。プロ40年目、58歳で迎える「やりがい」のあるシーズンへ、まだまだ走り続ける。

(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)

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荻島弘一

おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。

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