結婚後2週間で無職になって海外挑戦 「何百万円も使った」追い詰められた激動の5か月【インタビュー】

磐田、仙台でプレーした太田吉彰氏【写真:Getty Images】
磐田、仙台でプレーした太田吉彰氏【写真:Getty Images】

「航空券もホテルも食事も全部自腹で、ものすごい額のお金を使いました」

 現在、200人を超える日本人選手が海外で戦っている。三笘薫や遠藤航らのイングランドや久保建英らのスペイン、堂安律らのドイツといった主要リーグだけでなく、さまざまな国、カテゴリーでプレーできる時代になった。15年前、まだ一握りの選手しかプレーする機会のなかった時代に、自身の地位を捨てて、果敢に海外に挑んだ男がいた。ジュビロ磐田、ベガルタ仙台でプレーした太田吉彰氏だ。約5か月間、ヨーロッパに滞在しながら、受けられた入団テストはわずか3クラブだけ。「今思えば行って良かったなって思うんですけど、当時は本当にもうノイローゼとまでじゃないすけど、精神的にも相当キツかった」という、苦悩と苦労に満ちた激動の日々を振り返る。(取材・文=福谷佑介)

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 2002年に磐田ユースからトップ昇格を果たした太田氏は、4年目の2005年にはレギュラーに定着。2006年に32試合で9ゴールを決め、2007年には日本代表に初招集された。イビチャ・オシム監督の下で、同年7月のアジア杯メンバーにも選出。大会での出場機会はなかったものの、中村俊輔(当時セルティック)、高原直泰(当時フランクフルト)という海外組とプレーし、海外への思いを強くした。

「アジアカップに行って、海外でやっている人たちの影響で、自分自身もやってみたいなっていうのがありました。海外は自分自身の夢でもありましたし、最終的には自分で『チャレンジします』と決めました。怪我が治ってから試合にさほど出ていなくて不安もちょっとありましたけど、やれるっていう自信と、やってやるぞ、というワクワク感しかなかったです」

 2008年は前十字靭帯断裂の大怪我を負ってシーズンの大半を棒に振った。怪我が癒えた翌2009年、戦列に復帰すると、シーズンの折り返しを迎えた7月末に契約満了で磐田を退団した。契約延長のオファーをもらいながら夢を追うことにした。2週間前に結婚したばかり。「すぐ呼ぶから」と新妻を日本に残して、欧州クラブとの契約を目指して単身渡欧した。ただ、この段階で移籍先クラブのアテはなし。現地でテストを受け、移籍先を見つけるという、半ば無謀な挑戦だった。

 今でこそ日本人がさまざまな国、カテゴリーでプレーしているが、当時はまだまだ海外は狭き門。欧州でプレーしている日本人は数えるほどで、当然、よく分からぬ日本人の“売り込み”など門前払いが関の山だった。「全然受け入れられなかったですね。結局、5か月くらいヨーロッパにいて、受けられた入団テストは3つだけ。航空券もホテルも食事も全部自腹で、何百万円もの、ものすごい額のお金を使いましたし、ノイローゼになるんじゃないかってくらい精神的にも相当キツかったのを覚えています」。初めは希望に満ちあふれていたが、徐々に心は荒み、精神的にも参っていった。

最初に降り立ったドイツではマインツの8部クラブで練習する日々

 激動の旅はドイツから始まった。「住んでいる日本人の方が結構多かったのと、以前に稲本(潤一)さんもプレーしていたじゃないですか。とりあえず様子を見て来いよ、みたいな形で行きました」との理由でフランクフルトを最初の地に選んだ。契約のオファーもなければ、練習参加できるクラブもない状態で異国の地に降り立ったのだった。

 当時、ドイツでプレーしていた選手の家に転がり込み、居候させてもらった。ただ、すぐにその選手は移籍が決まり、家主はわずか1週間ほどでいなくなった。練習は知人の紹介で、電車で1時間ほどのところにあるマインツのドイツ8部のクラブに参加させてもらった。週2、3回程度、汗を流していたが、待てども、待てどもオファーはなかった。

「なかなか(テストを受けられる)チームもなく、でも、あるだろう、あるだろう、と思いながら、まだ希望に満ちて過ごしていました。ただ、テストの話はなかったですね。時差があって直接日本と連絡することもさほどできず、朝起きてメールを見て確認する、みたいな生活をしていました。言葉も喋れないですし、アテもないので、連絡を来るのを待っている状況でした」。気づけば、テストすらないまま、ドイツでの日々は1か月近くになっていた。

 ただ、練習といっても週2、3回ほど。それ以外はランニングをしたり、自室で軽い筋力トレーニングをするくらいで「コンディションはやっぱり難しかったです。ボールをたくさん蹴られるわけでもないですし、グラウンドで練習させていただけるだけで凄くありがたい状況でしたけど、そのクラブの練習のない日は朝起きて筋トレ、体幹トレぐらいしかやることがない。ドイツ語も勉強しながら、食事もほぼほぼ1人で取っていました」。

 コンディションが落ちていくことを感じながらも、入団テストの連絡を待つ日々。ようやく、最初の入団テストが決まったのは、ヨーロッパに来て1か月ほど経ってから。手を差し伸べたのは、かつて日本人もプレーしたことのあるフランスの、とあるクラブだった。(次回に続く)

[プロフィール]
太田吉彰(おおた・よしあき)/1983年6月11日生まれ、静岡県出身。ジュビロ磐田ユース―磐田―仙台―磐田。J1通算310試合36得点、J2通算39試合4得点。トップ下やFW、サイドハーフなど攻撃的なポジションをマルチにこなす鉄人として活躍した。2007年にはイビチャ・オシム監督が指揮する日本代表にも選出。2019年限りで現役を引退し、現在はサッカー指導者として子どもたちに自身の経験を伝える活動をしている。

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