裏切りたい周囲からの「ムリでしょ」 40歳でもフル出場…元日本代表戦士が現役にこだわる理由【コラム】
矢野貴章は40歳になっても「自分はまだ成長できると思っています」
最終盤を迎えている2024年のJ2リーグ。すでに清水エスパルスのJ2優勝とJ1昇格が決定し、自動昇格の残り1枠を横浜FCとVファーレン長崎が11月10日の最終節で争う構図になっている。プレーオフ圏内の3~6位争いも混沌とした状態で、最後の最後まで息を抜けそうもない。
かたや、J3降格の方はザスパクサツ群馬、鹿児島ユナイテッド、栃木SCの3枠が決定している。このうち、栃木に関して言うと、田中誠監督体制で始動した今季序盤は予期せぬ低迷を強いられ、5月に監督が交代。”昇格請負人”として知られる小林伸二監督を招聘し、巻き返しを図ったが、あと一歩届かずに、10月27日の清水戦で2部からの陥落が決まってしまった。
「僕自身も結果が残せませんでしたし、チームも力が足りなかった。僕だけじゃなく、チームの全員が努力するっていう部分で足りなかったんだろうなと思っています」。こう反省の弁を口にしたのは、40歳の元日本代表FW矢野貴章だ。2010年南アフリカW杯日本代表の数少ない“生き残り”の1人。同大会では本田圭佑の一発で劇的勝利を挙げた初戦・カメルーン戦の後半37分から大久保嘉人と交代してピッチに立っている。
これまで2003年に入団した柏レイソルを皮切りに、アルビレックス新潟、ドイツ1部フライブルク、名古屋グランパス、栃木を渡り歩いてきたプロ22年目の大ベテランも今季はいまだノーゴール。Jリーグで歩んできた長いキャリアの中でも初めてのことだ。しかもJ3降格という厳しい現実を突きつけられたのだから、本人も到底、納得できるはずはない。
そんな苦境の真っ只中でも、本人は「自分はまだ成長できると思っていますし、もっとうまくなりたいという気持ちも強い。年齢に関係なく、日々のトレーニングを続けています」と飽くなき向上心を持ち続け、ピッチに立ち続けているのだ。
それが如実に表れたのが、11月3日の横浜FC戦だった。1年でのJ1復帰に王手をかけながら、1か月も足踏み状態が続いている横浜FCとJ3降格の決まった栃木ということで、この試合は相手の横浜FCが圧倒的に有利だと目されていた。そこで栃木は前半から強固な守備ブロックを形成し、相手の攻めを徹底的に封じた。3-4-2-1の最前線に陣取った矢野も前からボールを追い、パスコースを消すなど、献身的なプレーを披露。チームに大きく貢献していた。
0-0で迎えた後半、栃木はロングスローやカウンターで相手ゴールを脅かすようになる。矢野は前線で体を張ってボールをキープし、攻めの起点になるだけでなく、持ち前の高さで決定機に関与。あと一歩でゴールを割りそうなシーンも演出するほどだった。
今季で切れる栃木との契約「来年も現役でやりたい気持ちはもちろんあります」
結局、スコアレスドローのままタイムアップの笛が鳴り響いたが、40歳のFWは同じ南アフリカ戦士である横浜FCの中村俊輔コーチやFリーグの松井大輔理事長らが見守る中でフル出場した。本人もそれには少し驚いた様子だったが、小林監督も「矢野はすごく動けてボールも収まる。プレスもかけてくれるし、代える必要はなかった」と高く評価し「本人も成長しようという姿勢が凄まじい。矢野と佐藤(祥)という30代以上の選手がこれだけ一生懸命やってくれると、若い選手も動かないわけにはいかなくなる。私も助かっています」と指揮官は存在感の大きさを再認識した様子だった。
矢野自身は清水と横浜FCのJ1昇格がかかった2試合に連続でスタメンとしてピッチに立ち、独特の緊張感を味わえたことに喜びを覚えたという。それこそが、サッカー選手としての醍醐味なのだ。
「あれだけ多くのお客さんの前でプレーするのが本当のプロの試合だと思いますし、そういう雰囲気の中でやれた幸せを感じた。そこに少しでも長くたっていたいという気持ちにもなりましたね」と彼は清々しい表情で言う。
そんな男の脳裏に「引退」の2文字が浮かぶことはあるのか……。その問いに、彼はこう答えた。
「来年も現役でやりたい気持ちはもちろんありますよ。栃木との契約は今年で終わりますけど、少しでも高いレベルで僕はやりたいと思っている。それがプロである以上、当たり前のことなので。現役を続けるかどうかというのはそれぞれの考えがありますし、別に長くやってることがいいということではないけど、僕の頭の中では『もっとプレーを続けたい』『もっともっとうまくなりたい』っていう思いが強い。それが今の僕を突き動かしている。こういう痺れる試合ってホントにたまらないじゃないですか」
40歳になっても矢野はサッカーの魅力に憑りつかれたままなのだ。
「僕はもともと完成もしていないし、何も手にしていない」とも語ったが、確かに矢野貴章という選手は元日本代表FWとしては地味なキャリアを歩んできたのかもしれない。柏時代は2005年に初めてJ2降格を味わい、3度在籍した新潟時代もタイトルに手が届いたわけではなかった。名古屋も2013~16年は難しい時期だったし、現在の所属クラブである栃木もJ2をキープするのに四苦八苦していた。
華々しい経験がない分だけ「もっともっと」という渇望が自分自身を掻き立てる部分が少なからずあるのだろう。それは本人も認めていた点である。
「周りの人が『ムリでしょ』って思うのを裏切っていきたい。それはホントに自分のモチベーションなんです。この年齢になれば、そう思われることが多い。常にそういう見方を裏切ってやるんだという反骨心なんですよね。僕はそれしかない。別にうまい選手じゃないし、そういったところで頑張って、生き残っていくしかないんです」
毅然とした表情でこう語った矢野。それだけ熱く燃える部分があるのだから、必ず来季もどこかでピッチに立っているはず。それがJ3に戦いの場を移す栃木なのか、別の環境なのかは分からないが、真摯にプレーを追求していくに違いない。
そういうベテランの存在は、見る側の心を揺さぶるところがある。残る今季のプレーは10日の最終節・徳島ヴォルティス戦だけだが、そこで何とか1ゴールを挙げてほしい。そうすれば、矢野も少しは今季の自分自身に納得できるのではないか。厳しいシーズンではあったが、彼らしい2024年の締めくくり方をして、2025年以降に希望を示してほしいものである。
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。