鈴木優磨に見えた“歯がゆさ” 鹿島新監督の初陣も…ピッチ上に欠けた共通認識【コラム】

福岡戦にスタメン出場した鈴木優磨【写真:徳原隆元】
福岡戦にスタメン出場した鈴木優磨【写真:徳原隆元】

中後雅喜監督の初陣となった鹿島だが、福岡と0-0の引き分けに終わった

 チームを去ったランコ・ポポヴィッチのあとを受け継いで、鹿島アントラーズの指揮を託された中後雅喜監督の初陣となったJ1リーグ第34節のアビスパ福岡戦。前任者の解任から代表ウィークを挟んでのリーグ再開となり、約2週間の準備期間を経て臨んだ試合だったが、鹿島はチームを取り巻く閉塞感を打ち破るきっかけとすることができず、0-0の引き分けで決着を見た。

 そして、この無得点ドローに終わった試合内容を端的に表現すると、鹿島にとっては与えられた戦術の役割に選手の個性が埋没してしまった、実りの少ない90分間となってしまった。

 新監督に率いられた鹿島のスタイルは、現代サッカーにおけるオーソドックスな戦術だったと言える。サイド攻撃を軸に突破口を開き、縦にボールを繋ぐことを意識したスタイルで福岡のゴールを目指していた。しかし、戦術をこなすうえで選手たちの共通理解が確立されておらず、探りさぐりとなったプレーは迫力に欠けた。

 チーム全体でスピード不足を露呈し、その動きの鈍さの結果、福岡守備陣のマークを激しく受けることになる。中盤から前線の選手は、背後に相手マーカーを背負ってボールを貰うことが多くなり、福岡ゴールを向いてプレーできない場面が目に留まった。

 鹿島はあまりにも戦術の形にこだわりすぎて、その課された動き一辺倒になり、特に攻撃面で窮屈になってしまっていた。そうした未完成の戦術の遂行が、鹿島の攻撃の流れを停滞させた主因と言える。だが、それでも鹿島の選手たちは戦術の貫徹にこだわっていた。

 もちろん現代サッカーで戦術は重要な勝利への手段であり、無視をすることはできない。それに、たとえ完成度が低くても戦術での崩しにこだわった、鹿島の選手たちの思いも分からないわけではない。選手たちは中後監督に敬意を表す意味でも、新指揮官が示すスタイルを忠実に再現しようとする気持ちが強かったのではないだろうか。

 しかし、鹿島はその新監督が示したスタイルにこだわり、ミスなく表現しようとするあまりプレーが丁寧になりすぎた結果、力強さを欠くことになる。攻守に渡っておとなしく纏まってしまったプレーでは、タイトな最終ラインを形成してゴールを守る福岡を攻略することはできなかった。長谷部茂利監督によって入念に磨かれた戦術を、選手たちもピッチで示すことを心得ている、良く鍛え上げられた福岡の守備網を切り崩すには、もっとダイナミックなプレーが必要だったように思う。

 そうしたチームとして作り出すダイナミックなプレーは、個人にフォーカスすると、その差が一目瞭然であったことが分かる。比較対象となるのはチームの得点源の選手だ。

 ここまで鹿島の攻撃を牽引してきた鈴木優磨は、新監督の初戦となったこの試合では、左サイドに張ってプレーをしていた。その印象は、もっと試合に入っていきたいが、与えられた左サイドでの役割をこなさなければならないという、歯がゆさを感じているようにも見えた。

 後半31分にターレス・ブレーネルが交代で投入され、彼が左サイドを担当したことにより、鈴木は中央のトップ下へとポジションを変えたが、時すでに遅しといった感じで、これといった有効な効果も示せず試合終了のホイッスルを聞いた。

 対して福岡の得点源であるウェリントンは、身体を張ったプレーで攻撃の起点となっただけでなく、守備面でも貢献する幅広い動きを見せた。年齢を重ねてプレーのキレは衰えてきているが、重量感のある体格を武器に局面の勝負に挑み続け、90分間を戦い抜いたことは高く評価できる。

 このように福岡のブラジル人アタッカーは、指揮官から戦術的に与えられた大枠の仕事をチームの一員として忠実にこなす一方で、細部となる局面では自らの判断による個人能力を前面に出すことによって存在感を示していた。

 戦術を遂行するうえで、その動きが選手の個性や得意のプレーを抑制する縛りになってしまっては、チームの良さは消えてしまう。戦術と個人技のバランスをうまく融合させることは簡単ではないが、鹿島の選手たちには指揮官に示された受動的な動きが目立ち、自らが考える能動的なプレーが少なかった。鹿島が奮わなかったのは、まさにそうした状況に陥っていたからだ。

 今シーズン限りでの指揮官となる中後監督には、来シーズンのさらなる躍進に向けて、選手間の決まり事となる戦術における忠実さと、局面の打開に有効となる個人技による大胆さの両面で、選手たちが輝くプレーを見せられるように導いてほしいところだ。

(徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)

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徳原隆元

とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。

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