放出告げられた直後の言葉…「もっと早く言ってくれよ」 電話口で即決したJ1での後悔【インタビュー】

舩津徹也氏がセレッソ大阪での1年間を振り返った【写真:福谷佑介】
舩津徹也氏がセレッソ大阪での1年間を振り返った【写真:福谷佑介】

現役生活14年の舩津徹也さん、人生の転機になった放出通知後の言葉

 現役時代にセレッソ大阪、モンテディオ山形など5クラブを渡り歩いた舩津徹也さんは、2022年の現役引退後、資産形成コンサルタントとしてセカンドキャリアを歩んでいる。びわこ成蹊スポーツ大からカターレ富山に入団した2009年にスタートした現役生活は14年にも及んだ。「一瞬だった」というキャリアの中で、今も忘れられない人生最大の転機があった。(取材・文=福谷佑介)

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「いま振り返ると、めちゃくちゃ一瞬だったなって思うんです。うまくいくことばかりではなく、J2やJ3に落ちたり、逆にJ1やJ2に昇格したりっていう経験もさせてもらって、本当に楽しかったなっていうのが率直に思うことですね」

 実に14年もの間、現役としてプレーを続けた舩津氏は自身のキャリアをこう懐かしんだ。人生の転機となったのは2012年、初めてJ1でプレーしたC大阪での出来事だった。

 2011年に富山で31試合に出場した舩津氏のもとに、予想だにしていなかったオファーが届いたのは、年の瀬の12月後半だった。大阪の実家に帰省していたところに電話がかかってきた。当時の富山の竹林淳強化部長からだった。当時、代理人がいなかった舩津氏。強化部長からの言葉に耳を疑った。

「セレッソ大阪からオファーが来たらどうする?」

 大阪出身で子どもの頃から長居競技場に足を運んでいたという舩津氏は即答した。

「正直、行きたいです」

 翌2012年はロンドン五輪の年。当時のC大阪にはMF山口蛍、MF扇原貴宏、MF清武弘嗣、FW杉本健勇の五輪代表候補がおり、ボランチの山口、扇原のバックアップとして舩津に白羽の矢を立てたのだった。舩津氏の言葉を聞いた竹林強化部長は続けた。

「実は本当にオファーが来ている」

 迷うことはなかった。その場でC大阪への移籍を決断。「J1でプレーしたかったですし、セレッソは地元のクラブだったので。もう即決でしたね」。富山からの期限付きで、憧れだった桜色のユニフォームに袖を通すことが決まった。

 初めてのJ1クラブでのプレーは面食らうものだった。「衝撃でしたね。自分が見ていた茂庭さんや播戸さんがいて、一緒に入団した児玉新さんとか横山さんもレベルが全然違いました」。主にベンチメンバーとしてJ1で5試合に出場したものの、スタメンはなし。1年で保有元の富山に戻ることになった。

 シーズンも終盤に入った頃、舩津はC大阪の梶野智強化部長(現チーム統括部長)に来季の契約の有無を聞きに行った。「来年、ここでプレーすることはない」と期限付き移籍期間の満了を伝えられると同時に言われた一言が、その後の舩津の人生を大きく左右することになったという。

「もっと自分らしいプレーをしてほしかった」

 豊富な運動量を誇り、サイドバックなら頻繁な上下動、ボランチなら相手を執拗に追い回すのが本来のプレースタイルだった。だが、チーム内に山口や扇原、清武といった足元の技術の高い選手が多くいたことで、舩津自身もボールを繋ごうとしすぎていた。「自分の良さを全く理解していなくて、周りに合わせないといけないと思いすぎて、自分ができもしないことをやっていたんです」。慣れないプレーをしていたことで、本来の良ささえも消えてしまっていた。納得の理由だった。

 C大阪を去ることが決まった直後に行われた練習試合。ここに出場した舩津氏は「自分が本来求められていたことをめちゃくちゃやったんです」とピッチを駆け回った。「感覚的にも全然違って、プレーしていて楽しかったです」。C大阪に加わってから感じたことのなかった手応えを感じることができた。

 この試合を見ていた梶野強化部長からも「そのプレーをしていたら来年もセレッソにいた」と評価をしてもらった。C大阪を退団することは、覆りようがなかった。ただ、自分が選手としてどんなことを求められているのか、どんなプレーをしないといけないか、がハッキリと理解できた。

「僕が求められているのってこれなんだって気づいて、カターレに帰っても山形に行っても、そのプレーをし続けました。その経験ってのはすごい大事だなと思いましたし、もったいないことしたな、とも思いましたね。J1で、セレッソでもっとプレーできていたかもしれないって思うと、後悔しても遅いんですけど、もったいなかったなって思います。もっと早く言ってくれよ、とも思いましたね」

 富山に復帰しても、J1昇格を果たした山形でも、そして草津でも岐阜でも、舩津は“自分の良さ”を見失わないようにプレーした。「あの時、梶野さんに言われたからこそ14年間もできたと思います。それに年下の選手、後輩にも、自分の良さを理解して出し続けることが大事だと伝えることができました。経験があったから、こそですね」。14年間の現役生活に繋がった人生の転機だった。

[プロフィール]
舩津徹也(ふなつ・てつや)/1987年2月9日、大阪府出身。立正大淞南高ーびわこ成蹊スポーツ大ーカターレ富山ーセレッソ大阪ーカターレ富山ーモンテディオ山形ーザスパクサツ群馬ーFC岐阜。Jリーグ通算356試合19得点。2022年で現役を引退。現在は資産形成コンサルタントとして投資信託などを中心に、資産形成のコンサルティングを行っている。

(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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