「国籍」より「実績」…外国人起用は前進か後退か イングランド新監督人事への賛否【現地発コラム】
イングランド代表史上3人目の外国人監督となったトーマス・トゥヘル
喜ばしくもあれば、残念でもある。10月15日の午後、トーマス・トゥヘルのイングランド代表監督就任を知って、そう感じた。BBCテレビのニュースを観てみれば、母国民の反応も同様。単なる新監督人事としては歓迎できるが、代表チームの外国人監督となると話は別ということだ。
イングランドには、サッカーと比べてファン層がミドルクラス寄りのラグビー、より上流階級色とインテリ色が強いクリケットという人気スポーツもある。両競技の代表チームには、外国人を代表監督に迎えて成果を上げた経緯がある。
ドイツ人のトゥヘルは、来年1月からの1年半契約。その期間内に予選が始まって本選が終わる、2026年W杯に特化した新監督と理解できる。同大会で、イングランドが1966年以来となる国際タイトルを手にする可能性は十分。若いチームには、ガレス・サウスゲート前体制下でファイナリストとなった、EURO2024代表の主力が残る。
サウスゲートは、試合中に戦況を変える采配が課題と言われたが、トゥヘルはベンチワークにも長けたタクティシャンだ。2021年1月からチェルシーを率いた1シーズン半強の間に、ペップ・グアルディオラ率いるマンチェスター・シティとの4試合で2勝2敗。いずれも僅差で、白星の1つはCL決勝だった。
しかし、サウスゲートの功績は優勝への接近だけではない。就任前の代表チームは、「12人目」を含めて自信がドン底に落ちていた。2007年にファビオ・カペッロという大物外国人監督を迎えても結果は出ず、続く国産のベテラン2人の下でもムードとモラルが低下する一方。その状況下で、“イングランド”は勝てるという、願望ではなく実感を与えた指揮官がサウスゲートだった。
この観点から眺めれば、代表史上3人目となる今回の外国人監督誕生は「後退」とも映る。個人的には、トゥヘルの就任直前にもそう思っていた。国内が、今季末でシティとの契約が切れるグアルディオラの招聘という、イングランドFA(サッカー協会)の「夢」に沸いた2日間。誇り高き「カタラン人」が代表監督職に興味を示すとすれば、イングランドはスペインよりも可能性が高い。現実となっていたら、「外国人」云々も問題視はされなかったことだろう。
だが、それほどの実力者であるだけに、「ペップのイングランド」が2年後のW杯優勝国となれば、それは代表による偉業という以上に、現役世界一の監督による新たな実績と受け止められるように思えた。実際にはトゥヘルが率いることになったイングランドが優勝を果たした場合も、候補とされたニューカッスル指揮官のエディ・ハウ、昨年4月にチェルシーを追われて就職活動中のグレアム・ポッターなど、プレミア級の母国人監督が選ばれた結果である方が、国民の喜びはひとしおなのではないか?
「外国人でもいいんじゃない?」「複雑な心境だね」賛否分かれた現地の声
トゥヘル就任決定の3日後、毎週金曜日に近所の広場で行われるキッズサッカーを見守る保護者たちに意見を訊いてみた。結果は、やはり半々に分かれた。
「外国人でもいいんじゃない? 初めてではないし、アルゼンチン人とスコットランド人以外なら許せる」
「代表だって、監督はチームの力を最大限に引き出せる人物を選ぶべき」
「ドイツ人の監督は国産の連中よりも実力が上。W杯優勝だ!」
代表の無冠が半世紀以上も続いているのだから、こうした反応も当然だ。
その一方で、「勝てばいいっていうことになるのだろうけど、正直、複雑な心境だね」と語る男性もいた。「引き抜けるものなら、自分の一押しはエディ・ハウだった」という声も。そして、40代ぐらいのパパさんは「国際大会の本質を見失っている気がする」と言っていた。
同感だ。彼が、「監督を含めて、国内最高レベル同士の対決であるべきなのに」と言うとおり。FAも、カペッロ後のイングランド人路線を貫くかと思いきや、どう転んでも責められることのない短期ソリューションに打って出た。
トゥヘルとの契約締結は、代表がホームでのネーションズリーグ戦でギリシャに敗れ(1-2)、U-21代表監督との兼任で暫定指揮を執るリー・カーズリーに、新監督候補にはあるまじき力不足の自認とも受け取れる発言があった翌週のことだった。ドイツ人新監督がW杯優勝をもたらせば、FAの人選は「国籍」よりも「実績」を重んじた英断と評価される。優勝が叶わなくても、限られた候補から最高の実力者を選んだとする言い訳が通用する。
“ホームグロウン監督”の育成が進まない事情
EURO2024後のサウスゲート辞任を受け、FAが公式サイトを通じて出した求人広告には次のようにあった。
「イングランドのサッカー事情に精通し、プレミアリーグ及び/または主要国際大会での実績を有する人物」
この希望条件を満たす母国人監督は、FA最高責任者が公言した「10人ほど」の候補者にはいない。
今季プレミアで指揮を執るイングランド人は3人。昨季はほかに3人が采配を振るったが、シェフィールド・ユナイテッドの2部Uターンを避けられなかった2人と、70代後半のロイ・ホジソンという顔ぶれだ。現監督陣の国籍では、グアルディオラを含めれば5人のスペイン人が最多。ブライトンによる抜擢でプレミア史上最年少監督となったファビアン・ヒュルツェラーは、ドイツ人ときている。
「イングランドDNA」の旗の下に着手された育成改革により、国産選手のクオリティ改善には成果が見られる。ジュード・ベリンガム(レアル・マドリード)か、フィル・フォーデン(マンチェスター・シティ)か、コール・パルマー(チェルシー)かというトップ下の選択は、他国の代表監督も羨む嬉しい悩みだ。
しかし、その決断を下せなかったカーズリーが、無理やりスタメンに並べるような布陣でギリシャ戦に臨んでいたように、“ホームグロウン監督”の育成には、まだ時間を要する。
プレミアの監督職が国産の若手指導者にとって狭き門であるならば、現役時代の名声を持たない場合は特に、国外にトップリーグでの監督経験を求める手段が有効になる。フランスのリーグ・アンで指揮を執るウィル・スティル(RCランス)のような例も見られるようになったが、彼はベルギー生まれのイングランド人監督だ。
海外でのキャリアパスに関しては、3、4年前に新聞記事を読んで驚いた記憶もある。スペインに移住した若手コーチの話だったのだが、UEFAプロ・ライセンス取得のコース受講料が、イングランドの約10分の1程度で済むとあったのだ。同ライセンス保持者の数がイングランドの軽く数倍と言われる、指導者層の厚さにも余計に納得がいく思いだった。
非営利団体であるFAは、若手指導者の海外挑戦を奨励するだけではなく、より具体的な支援策を講じる必要がある。今回の監督人事では、ひとまず自らの身を守る行動を取ったように思えてならない。
もちろん、就任要請に応えたトゥヘルに責任はない。チェルシーでは、持ち駒の特性から少々慎重にならざるを得なかった部分もあるが、イングランド代表では、より積極的な彼本来のスタイルで戦うチームを率いて、W杯での予選通過と優勝を実現してくれるのでなないかという期待も持てる。
イングランド戴冠の暁には、ドイツ人の優勝監督に名誉大英勲章が贈られることだろう。だが真の“イングランド優勝”は、監督未定のEURO2028以降へと持ち越されることになった。
(山中 忍 / Shinobu Yamanaka)
山中 忍
やまなか・しのぶ/1966年生まれ。青山学院大学卒。94年に渡欧し、駐在員からフリーライターとなる。第二の故郷である西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会およびフットボールライター協会会員。著書に『川口能活 証』(文藝春秋)、『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリーライオンズ』、『バルサ・コンプレックス』(ソル・メディア)などがある。