元日本代表FWに異変…「歩くのも困難」 契約満了でキャリア白紙、現役続行は「もうダメかも」【インタビュー】
川又堅碁に起きた怪我との苦闘、キャリアに差した1つの影
かつて、J1の舞台でゴールを量産し、日本代表にも名を連ねたFW川又堅碁はプロ17年目を迎えた今、J3アスルクラロ沼津の一員として戦い続けている。35歳とベテランの域に入ったストライカーはここ数年、怪我に苦しんだ。プロ入りからJ1でのブレイクを経て、怪我とは無縁だったキャリアに差した1つの影――。その胸中を訊いた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・橋本 啓/全3回の1回目)
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川又は2008年、高卒でアルビレックス新潟へ入団。プロの壁は厚く、1、2年目ともリーグ戦での出番はわずか1試合。その間、得点はなくプロ入りから4年目まで得点記録欄には「0」が並んだ。転機が訪れたのはその翌年、J2ファジアーノ岡山への期限付き移籍だった。得点ランキングで2位となる18得点を挙げ、一気に自信が芽生える。
「入団して当初からやはりレベルも高いですし、自分の中で確実に通用するなっていうところがすごく少なくて。それで、思うような結果も得られなかった時期もありましたけどそのなかで、岡山で本当にみんなに支えられて、うまく結果が出せた」
ここから一気にブレイクを遂げた。2013年に新潟へ復帰すると得点ランキング2位となる23ゴールを記録して、一気にその名を知らしめる。14年8月には名古屋グランパスに活躍の場を移し、自身初の日本代表入り。17年から加入したジュビロ磐田でも2季連続で二桁得点とまさに順風だった。
キャリアが暗転したのは、磐田加入後3年目。19年シーズンの4月、北海道コンサドーレ札幌戦で右肩を脱臼するアクシデントに見舞われる。「一向に肩が動かない」。当初はリハビリを重ね1か月半~2か月で復帰する予定だった。ところが神経が麻痺し、力が入らないほどの重症。怪我と無縁だったサッカー人生に暗い影が立ち込めていた。
怪我から5か月後に戦列復帰も、19年は8試合1得点で終了。シーズン後、契約満了が伝えられた。怪我明けの30歳に他クラブから興味を示されることはなかった。翌年、無所属のままJ2ジェフユナイテッド千葉のキャンプに参加。するとアピールが実り、正式オファーが届いた。「ジェフで恩返しがしたい」。自らを拾ってくれた恩は、プレーと結果で返す。そう意気込んで1年目は6得点を奪う活躍も、再び怪我に見舞われる。
「歩くのも困難なぐらいの時期もありました」
千葉で2年目を迎えた2021年、アキレス腱が悲鳴を上げた。かかとの骨との付着部に痛みが起き、プレーに支障をきたして離脱を余儀なくされたのだ。「負けたくない」と焦る気持ちを抑え切れず、リハビリの時間外にトレーニングも可能な範囲で取り組んだ。そんな懸命な努力を嘲笑うかのように、なかなか回復への兆しが見えない。
良くなったかと思えば、1、2日を経て再び悪化。怪我との格闘に時間を費やした川又はこのシーズン、公式戦出場なく終わった。岡山で覚醒した2012年シーズン以降、毎年ゴールを決めてきた。キャリア表の得点欄には、久々に「0」が並ぶ。翌22年も怪我は完治せず、リーグ戦2試合出場で無得点。強気なストライカーの心は折れかけた。
「結構、メンタル的に動かされたというか、どうにもならないっていう状況に追い詰められたのが、その2年間だったかな。その当時は本当にもうダメかもっていうのを感じた2年でしたね」
千葉へ恩返しをするはずが、22年シーズンを持って契約満了。アキレス腱の怪我は癒えず、翌年以降のキャリアは白紙になった。現役を続けられるのか……。川又は1つの賭けに出た。「病院を紹介してもらって、そこで手術をしようと。ただ、どっちに転ぶか分からなかったんです。本当に辞めないといけないのか、続けられるぐらい回復するのか。本当もうギャンブルだったんです」
手術後も続いた痛み、心晴れないなかで届いた1つの連絡
千葉県鴨川市にある亀田総合病院で昨年初め、川又はアキレス腱の手術に踏み切った。病院内にはジムやフリーウェイト、陸上用のトレーニング施設が備わっており、徹底的な治療を目指すには打ってつけの充実ぶりだった。リハビリを兼ねて入院、そして手術から2か月半、退院の時期が迫っていた。だが、川又の心は晴れなかった。
「痛みはなかなか取れてなかったんですよ。手術前と手術した直後と、リハビリして2か月半経ってもやっぱり足の痛みが変わってなくて」
そんな折、1つの連絡が川又のもとに届いた。電話越しでメッセージを寄せたのは、JFA(日本サッカー協会)のトレーナーだった。
「1回来いっていう話で夢フィールドのほうへ行った時、みんなが受け入れてくれて。『もう1回ここで戻るぞ』っていうのを手伝ってくれたんです。なんて言うんですかね……自分の中で辞めないといけないぐらいやばいって思っていたことが、そういう人たちのおかげで、辞めるっていうことを忘れさせてもらい、なおかつ、まだやれるっていう希望を持たせてくれたんです。
自分の心境的には、結構落ち込んでた時期ではありましたけど、そういう諦めるっていうか、辞めるっていう判断をさせてくれないぐらい、自分にパワーをくれた仲間だったんです。病院関係者であったり、JFAのスタッフ、トレーナーのおかげでネガティブなことを考えずに復帰にだけ矢印を向けさせてくれた。落ちてた部分があったけど、本当に周りのおかげでここまで這い上がれたと思います」
一度はドン底に落とされ、引退の二文字もよぎった。そんな川又のキャリアは、絶対に辞めさせない、という周囲からの手助けもあり、再び現役続行へと道が切り開けることになる。無所属のままプレー環境を探っていたなかで23年8月、練習参加の末、沼津への加入が決まった。
「入団が決まっていて練習参加したわけじゃなかったんですよね。1か月ぐらい。普通だったらそんなに練習参加させないだろうっていう状況だったんですけど、それでも受け入れてくれて。今は足の痛みもほぼなくて、コンディションも上がってきましたし、ここでもう1回またストライカーとして頑張っていきたいなと思います」
1989年生まれの35歳。ベテランの域に入り、ピークは過ぎたと見るのが自然かもしれない。だが復活を遂げた今の川又に、ネガティブな思いはない。「ここでもう一花咲かせたいと思います」。挫折を経て、そこから這い上がったストライカーの活き活きとした表情に、その言葉の本気度が感じられた。
[プロフィール]
川又堅碁(かわまた・けんご)/1989年10月14日生まれ、愛媛県出身。小松高―アルビレックス新潟―カタンドゥヴェンセ(ブラジル)―アルビレックス新潟―ファジアーノ岡山―名古屋グランパス―ジュビロ磐田―ジェフユナイテッド市原・千葉―アスルクラロ沼津。Jリーグ通算318試合98得点。2013年にJベストイレブンにも輝いた生粋のストライカー。怪我を乗り越え、昨夏加入した沼津でプロ17年目を迎えた今も奮闘を続ける。
(FOOTBALL ZONE編集部・橋本 啓 / Akira Hashimoto)