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森保メモに書かれた「19文字」 過去最強クラスの日本代表、指揮官には壮大なプレッシャー【コラム】
【カメラマンの目】練習にも欠かさないノートには二行の文字が書かれていた
勝てば官軍、負ければ賊軍。しかも試合に勝利しても、内容が悪ければ評価されないこともある。それに同じ指導者という立場にあっても監督とコーチでは、その責任において雲泥の差があり、背負っているものは前者の方が断然に大きい。そんなサッカーチームを指揮する監督は、なんとも難儀な仕事だと思う。
2026年ワールドカップ(W杯)北中米大会の出場を目指す日本代表は、アジア最終予選の第3戦となったアウェーのサウジアラビアとの試合に勝利し、ホームの地に戻って来た。12日には対オーストラリア戦に向けて調整をスタートさせている。そんな練習場での一コマを写真に収めた一枚に、目に留まるものがあった。
森保一監督は近年の歴代の代表監督と比較しても、報道陣との関係を大切にすることに心をくだいている人物だ。12日の練習でもピッチに姿を現すと、まず報道陣の方へと歩み寄り丁寧に会釈をしていった。さすがにすべての報道陣に対してというわけにはいかないが、会釈をしていく回数は一度や二度ではない。さらに練習が終了し、ピッチから引き上げていくところで、こちらのカメラマンの一団と歩調を合わせると、会話を交わす親密さを見せている。
W杯本大会を戦ったこれまでの指揮官で言うと、2006年W杯ドイツ大会の指揮を執ったジーコは、ブラジル人らしく報道陣に対しても壁を作ることはなかった。自らの現役時代のハイレベルな才能を基準とした、選手の個人能力に依存する華麗さを求めた冒険主義的なスタイルは結果を出せなかったが、日本サッカーの発展に貢献した人物だっただけに、サポーターにも愛された存在だった。
対して02年に開催された日韓大会のチームを率いたフィリップ・トルシエは、報道陣と対立することも辞さない、攻撃的な態度を隠そうともしなかったフランス人だった。W杯自国大会を戦うチームを指揮するということで注目度も高く、成績が上がらなければマスコミが彼の自宅にまで張り込んだこともあった。そうした報道側の行き過ぎた姿勢もあり、彼は決して良好な関係を構築しようとはしなかった。
10年W杯南アフリカ大会を目指していたイビチャ・オシムは、哲学者然とした風貌だけでなく、会見などで質問する報道陣が気圧されるほど、自らのサッカー理論に絶対の自信と信念を持っていた。底の見えない人物像の一方で他者に対して人格的影響力を持ち、そのサッカーの指揮ぶりも合わせて頼りになる人物に見えた。しかし、体調を崩し志半ばでチームを去ることになってしまう。彼の退場は日本サッカー発展において、非常に悔やまれる出来事だった。
過去にはそうした個性的な人物が指揮を執ってきたサムライブルーだが、チームに目を向けると現在の陣容は、歴代のW杯本大会を戦ったどのチームよりも、屈指の戦力を誇る。
ただ、そうした充実の戦力が揃った日本を指揮する森保監督にとっては、低調な試合内容や期待外れの結果は出せないというプレッシャーは、歴代の指揮官と比べてより強いのではないだろうか。
報道陣に笑顔で対応するその裏で、厳しい勝負の世界に生きる指揮官は、孤独でもあるのではないかと思う。そう感じさせる場面にカメラのシャッターを切った。
森保監督は試合でもメモを取る小さなノートと筆記用具を手にしている。この練習でもノートは手のなかにあった。その裏表紙に文字が書かれていた。
「日本は、できる。さあ、思い切って行こう」
そうノートの裏表紙に書かれた二行は、ほかの誰でもない自分を奮い立たせるための言葉のように感じた。15日に控えたホームの対オーストラリア戦では、どんな采配を見せるのか。サポーターたちを沸かす、思い切った戦いぶりを見せられるのか。森保監督の指揮に期待したい。
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。