欧州名門の日本人獲得は「大きな変化であり成果」 唯一無二クラブに認められた価値【現地発コラム】
ドイツの絶対王者バイエルン、日本代表DF伊藤洋輝を獲得した意義深さ
日本代表DF伊藤洋輝がドイツの名門バイエルン・ミュンヘンに移籍してから数か月が経つ。7月の負傷からリハビリを経て、ようやくトレーニングが再開できる状態まで回復し、復帰の時が徐々に近づいている。
そんな伊藤が所属するバイエルンというクラブは、どれほど凄いのだろうか。
ドイツの絶対王者。名門中の名門。UEFA(欧州サッカー連盟)のクラブランキングによるとマンチェスター・シティ、レアル・マドリードに次ぐ3位だ。国内リーグ優勝33回、DFBポカール優勝20回、UEFAチャンピオンズカップ/UEFAチャンピオンズリーグ優勝6回を誇る。
2021年にはCL、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブ・ワールドカップ、ブンデスリーガ、ドイツカップ、ドイツスーパーカップの年間6冠を達成し、2019年のFCバルセロナ以来、史上2クラブ目となる快挙を成し遂げた。
今や常勝クラブとして、ドイツで唯一無二の存在がバイエルンと言えるだろう。そんなバイエルンも最初から絶対的な存在だったわけではない。ブンデスリーガ初年度となった1963-64シーズンにはブンデス参加メンバーに入っていなかったのだ。
その後ブンデスリーガに昇格したバイエルンが初めてリーグ優勝したのが1968-69シーズン。フランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラーという稀代の天才プレーヤー2人がバイエルン新時代の希望の象徴であり、礎を作った存在として今も最大限のリスペクトを集めている。
バイエルンと西ドイツ代表で盟友だったパウル・ブライトナーは、ベッケンバウアーについてこんなふうに語っていた。
「フランツはいつでも勝ちたかったし、勝たなければならない存在として注目されていた。彼が契約にサインをした時から、バイエルンはあらゆる試合に勝たなければならないクラブとなったのだ。そんな彼の持つ『勝者のメンタリティー』こそが、今のバイエルンにある『ミア・サン・ミア』の主柱だ。フランツはこのクラブに揺るぎない自意識をもたらした。その才能の素晴らしさを評価され続けていたけど、彼は毎日のようにハードに取り組み続けていたんだ」
ドイツ人記者も指摘、バイエルンの伊藤獲得は「確かなリサーチがあったうえで…」
「ミア・サン・ミア」とはバイエルンの方言で、標準ドイツ語では「Wir sind Wir=僕らは僕ら」となる。クラブアイデンティティーの確立を表す言葉として、バイエルンでよく使われる言葉だ。
ベッケンバウアーとミュラーの親友でもある元バイエルン会長ウリ・ヘーネスは、次のように述懐している。
「『ミア・サン・ミア』について話す時、我々はいつもフランツやゲルトが見せてくれていた姿を模範として考えている。どれほどピッチ内とピッチ外でプロフェッショナルに振る舞ってきたことか。どんな時でも自分を信じ、心強くあり続け、同時に謙虚に地に足をつけ、勝利を求め続け、そして忠実にあり続ける。それがバイエルンなのだ」
時代は変わり、マーケティング要素も考慮して補強に動くクラブも少なくはない。将来性を見据えて多くの若手に手を出すクラブもある。バイエルンにしても、そうした例がないわけではない。だがクラブとして、選手に求めている基軸にブレはない。これがない選手は、どれだけ活躍しようともファンからのアイデンティティーは得られず、短期間でクラブを去ることになるのは歴史が証明している。
伊藤は、そんなバイエルンがクラブにとって必要と判断して獲得した選手なのだ。
「かつてバイエルンの移籍に関してアジア人選手を獲得して当地での注目を集めて、マーケット進出の取っかかりを作るという狙いがなかったわけではなかった。だが今回はそうした過去の例に当てはまらないわけです。伊藤はそのプレークオリティーをもって、チームの戦力アップにつながるという確かなリサーチがあったうえで獲得されているんです。これは大きな変化であり、成果だと言えるでしょう」
ブンデスリーガを熟知し、日本人選手にも精通するドイツ人記者キム・デンプフリング氏は、はっきりとした口調で語ってくれた。満員の本拠地アリアンツ・アレーナで怪我の癒えた伊藤が拍手で迎えられる日もそう遠くはない。
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。