日本の伝説を「今も覚えている」 伊記者がしみじみと…名手デル・ピエロらと遜色ない「特別な存在」【インタビュー】
中田英寿氏は「特別な存在」…イタリア紙記者が日本人選手や日本代表の飛躍ぶりを称賛
これまで多くの日本人選手が、欧州最高峰リーグの1つであるイタリア1部セリエAに挑戦してきた。現地スポーツ紙「コリエレ・デッロ・スポルト」でボローニャを担当するクラウディオ・ベネフォルティ記者は、日本のレジェンドについて「現代のイタリア(セリエA)でも十分活躍できる」と絶賛する一方、日進月歩の飛躍を見せる日本人選手や日本代表チームも称えている。(取材・文=倉石千種)
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中田英寿(ペルージャ、ASローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブでプレー)が優秀な選手であることは一目瞭然だった。彼がピッチに立つと、攻撃と守備の両面で輝きを放ち、そのプレーは見ていて非常に美しかったね。まさにゲームを創造できる選手であり、豊かな才能を持っていた。
トップ下や司令塔的な役割が彼にとって最適だったと思っている。中田がボールを持って攻撃を仕掛ける際、チームメイトは彼の判断をすごく尊重していたし、フィジカルと高いスキルを備える彼からボールを奪うのは至難の業だった。
中田がイタリアでプレーしていた時代から約20年が経っているが、今考えても現代的な選手だと思う。どのポジションで起用されても良いプレーを見せ、状況に合わせて臨機応変な対応ができる柔軟性も持ち合わせていた。
彼に何回かインタビューした時のことは今も覚えているよ。話す内容はすごく真面目で紳士的だったし、イタリアやヨーロッパのサッカーによく馴染んでいたと思う。それに、とてもおしゃれだったね。ファッションショーや美術館に行くようなタイプで、上質な服を着こなして都会的な装いも印象深い。
ペルージャを皮切りに、ASローマ、パルマ、ボローニャ、フォオレンティーナと、イタリアの各クラブで重要な働きを見せていたと思う。その時々で戦術をよく理解し、上手く適応しながら存在感を放っていた。
たとえ自国リーグで活躍している選手でも、イタリアのサッカースタイルに馴染むまでに時間を要するケースは少なくない。たとえばルイス・ファーガソン(スコットランド代表MF/ボローニャ所属)はスコットランドからイタリアに来たが、気候や文化面はもちろん、練習などの進め方も異なるため、当初は適応に相当苦労していた。日本から来て、どのクラブでもコンスタントに活躍するのは難しいし、その意味でも中田は特別な存在だったんじゃないかと思う。
中田がプレーしていた当時、デル・ピエロ、ロベルト・バッジョ、フランチェスコ・トッティなど、いわゆるファンタジスタがいた。中田も彼らのように創造性あるプレーを見せていたし、技術とフィジカルも備えた選手として、現代のイタリア(セリエA)でも十分活躍できる。
今、セリエAにいる日本人選手では、GKの鈴木彩艶(パルマ)も注目を集めている。飛び出しが上手く、足もとの技術水準も高くて非常に良いプレーヤーだ。ボローニャ戦でも良いプレーを見せていた。
中田がイタリアに来た1998年当時に比べて、日本人選手や日本代表の飛躍ぶりが凄まじい。アルベルト・ザッケローニ(元日本代表監督)は、スピードや高い技術など日本の長所を生かす戦い方を植え付けていたが、日本サッカーの発展ぶりを見るとザッケローニが果たした役割も大きかったように思う。
(倉石千種 / Chigusa Kuraishi)
倉石千種
くらいし・ちぐさ/1990年よりイタリア在住。1998年に中田英寿がペルージャに移籍した時からセリエAやイタリア代表、W杯、CLをはじめ、中村俊輔、本田圭佑、長友佑都、吉田麻也、冨安健洋など日本人選手も取材。バッジョ、デル・ピエロ、トッティ、インザーギ、カカ、シェフチェンコなどビッグプレーヤーのインタビューも数多く手掛ける。サッカーのほか、水泳、スケート、テニスなど幅広く取材し、俳優ジョルジョ・アルベルタッツィ、女優イザベル・ユペール、監督ジュゼッペ・トルナトーレのインタビューも行った。