元日本代表MF水野晃樹、一度は諦めたJ復帰…“一家の大黒柱”として見据える未来「先の人生の方が長い」【インタビュー】

水野晃樹が現役引退を決断【写真:Getty Images】
水野晃樹が現役引退を決断【写真:Getty Images】

9月29日に今季限りでの現役引退を発表

 J3のいわてグルージャ盛岡でプレーする元日本代表MF水野晃樹は、9月29日に今季限りでユニフォームを脱ぐ決断をした。かつて名将イビチャ・オシム監督から指導を受けた39歳に引退を決断した理由や、セカンドキャリアについて語ってもらった。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小西優介)

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 現在39歳の水野は、静岡県清水市出身。高校時代は名門・清水商業高校(現・清水桜が丘高校)で心身ともに鍛え2004年にジェフユナイテッド千葉へ加入しプロデビューを果たした。

 主力に定着すると、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)連覇(05年、06年)を経験。07年シーズンでは、リーグ戦29試合9得点をマークし、オシム監督率いる日本代表メンバーへ初選出、A代表デビューも飾った。

 千葉では4シーズン過ごし、満を持してスコットランドの名門セルティックへ移籍。しかし膝の負傷も影響し、2シーズン半で公式戦出場12試合1得点と、思いどおりの結果を残せないまま、10年の夏頃にはスコットランドの地をあとにし、日本へ復帰した。

 その後柏レイソルに3シーズン在籍し、13年にヴァンフォーレ甲府へ。2年間プレーしたあとは、ジェフユナイテッド千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原とJクラブを転々とし、21年の2月に社会人リーグのはやぶさイレブンに加入した。そして社会人リーグで2年プレー後の2023年岩手へと加入し、J復帰となった。

 岩手での1年目では怪我がありながらも主に途中出場で12試合に出場。今季もここまで途中出場のみの7試合にとどまっていたなか、29日のギラヴァンツ北九州戦の前に今季限りでの引退を発表した。

「違う角度からまたチームを支えて、強くしていきたい」

 水野は相模原時代からサッカースクールコーチとしての活動も始め、JFA(日本サッカー協会)のB級コーチライセンスも取得した。セカンドキャリアについて、「プレーヤーとしては必死こいて21年間やってきましたけど、指導者だったり、フロントかはわかんないですけど、違う角度からまたチームを支えて、強くしていきたいっていう気持ちがあります。そういうふうなセカンドキャリアを歩んでいけたらいいなと考えてるので、これからまたいろいろ勉強もしなきゃいけない」とサッカー界に携わっていきたい意向を示した。

「また新たな挑戦ですけどやっぱオシムさんの言葉でもあったように、『上を向いて挑戦していく』っていうものを大事にして、ピッチではこの年になってなかなか汗かき役はできてないですけど、今後サッカー界に残って、たくさん汗かいて、より良いサッカー界を作っていきたいなと思います」と第2の人生について語った。

 水野は社会人リーグ移籍の前に一度引退をしようか悩んでいた。それでも現役を続けたのは、妻の後押しがあったからだ。「サッカーできるんだったら、やったらいいじゃん。サッカーしている姿をまだ見たい」。現役続行へ再び思いが傾き、その後Jリーグ復帰につながっていた。

 今回の決断に関して、「年齢も年齢だし、それに近いような話は度々出てはいたんですけど、実際に決めて伝えたら、『残念だしやっぱできるんであればやってほしい。プレーをもっと見たかったって』と言ってもらえました。でもやっぱその先の人生の方が長いですし、自分としては散々自分勝手に、わがままに自由にサッカーをやらせてもらえてたので、今度は家族の大黒柱としてもいなきゃいけないっていう思いもありました。いろんな感情はありましたけど、でも次のステップも自分で決めて、『それを私は応援するだけ』って言ってもらえた」と家族の反応を明かした。

[プロフィール]
水野晃樹(みずの・こうき)/1985年9月6日生まれ、静岡県出身。清水商業高―市原―セルティック(スコットランド)―柏―甲府―千葉―仙台―鳥栖―熊本―相模原―はやぶさイレブン―岩手。スピードと正確なキックが特徴のアタッカー。昨年2月に神奈川県社会人サッカーリーグのはやぶさイレブンから岩手へ移籍でJ復帰。日本代表通算4試合・0得点。

(FOOTBALL ZONE編集部・小西優介 / Yusuke Konishi)

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