戦力外で退団も…「悪く言わなかった」 43歳で現役、元日本代表が受けた“異例の歓迎”【見解】
【専門家の目|栗原勇蔵】横浜FM、日本代表でともにプレーした山瀬を語る
J2レノファ山口FCは9月25日、ニッパツ三ツ沢球技場で天皇杯の準々決勝を戦い、横浜F・マリノスに1-5で敗れた。この一戦に途中出場して大きな話題となったのは、古巣凱旋を果たした43歳のMF山瀬功治。日本代表でもともにプレーしたマリノスOBの栗原勇蔵氏は、スタンドから感慨深く見つめていた。(取材・構成=FOOTBALL ZONE編集部)
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北海道・札幌市出身の山瀬は、2000年に地元コンサドーレ札幌でデビューすると、2003年から浦和レッズに移籍。そして2005年から2010年まで横浜FMでプレーした。怪我に苦しみながらも副主将を務めるなど、背番号10を背負って活躍。日本代表にも選ばれ、惜しまれながらも川崎フロンターレに移籍していた。
退団の際には戦力外通告という形で、寂しい去り際となってしまった。しかし、栗原氏は「彼自身は色んな思いはあったとは思うんですけど、人間的に素晴らしい人なので、マリノスのことを悪く言うことはなかったんです」と明かす。その後は退団から14年、43歳になった今でも現役として活躍を続けている。
さらに試合後には、ゴール裏から異例の歓迎も受けた。事前に用意されていた横断幕に加え、懐かしのチャントを大合唱。その光景を目撃した栗原氏も、「応援しているサポーターやファンの方も14年も経つとだいぶ変わっているのに、今でもこういう歓迎をされるのはすごいことだなと思います」と力説する。
そして山瀬が横浜FMを退団した後のエピソードも教えてくれた。「家族ぐるみで今もマリノスの社員とすごく仲良かったりとかする珍しい人なんです。なかなかそういう選手はいなくて、凱旋した時には会社の人たちも嬉しかったと思います」。山瀬とクラブの絆が天皇杯での対戦を引き寄せたのかもしれない。
「先輩なんですけど、本当に怪我に苦しんだ選手だったので。ここまでやれるのは意外だったというか、怪我さえなければもっともっと上に行けていたかもしれない。膝も何回もやっているし、そういう選手は早めに引退することも多いなかで、この年までやっているというのは、ものすごいことだなと思います」
昨季までJリーグ記録に並ぶ24年連続ゴールを記録している山瀬。今季リーグ戦では1試合の出場にとどまっているが、残り試合での更新にも期待がかかる。今回の凱旋で横浜FMのサポーターからの思いを、きっと本人も受け取ったはず。そしてOBの栗原氏も、かつての戦友に熱いエールを送っていた。
(FOOTBALL ZONE編集部)
栗原勇蔵
くりはら・ゆうぞう/1983年生まれ、神奈川県出身。横浜F・マリノスの下部組織で育ち、2002年にトップ昇格。元日本代表DF松田直樹、同DF中澤佑二の下でセンターバックとしての能力を磨くと、プロ5年目の06年から出場機会を増やし最終ラインに欠かせない選手へと成長した。日本代表としても活躍し、20試合3得点を記録。横浜FM一筋で18シーズンを過ごし、19年限りで現役を引退した。現在は横浜FMの「クラブシップ・キャプテン」として活動している。