奇跡を伝えた“携帯電話” J2クラブの運命変えたブラジル人…誰も予想しなかった結末
ヴァンフォーレ甲府のバレー、2005年の入れ替え戦で決めた伝説の6ゴール
「6ゴール、6ゴールも決めたよ!」
試合後、声をかけてカメラの広角レンズを向けると、ヴァンフォーレ甲府のブラジル人ストライカーは、これ以上ない満面の笑みを見せた。勝利と自らの活躍を胸にプレーしていたとはいえ、おそらく彼自身もこの待ち受けていた運命を予想はしていなかったと思う。それほどサッカー王国からやって来たブラジル人フォワード(FW)は、サッカー人生においてそう簡単にはできない離れ業を成し遂げたのだった。
彼は興奮冷めやらぬ様子のまま、すぐに携帯電話を使って6ゴールを決めたことをポルトガル語で伝える。送話口の先で稀に見る活躍を聞いたのは家族だったと思う。
2005年12月10日、甲府はJ2リーグで3位の成績を挙げ、J1参入を賭けた入れ替え戦の第2戦に臨んだ。相手はJ1リーグで16位に終わった柏レイソル。柏はシーズンを通して低空飛行が続いたが、これまでJ1のシーズンを戦ったことがない甲府にとっては、格上の相手であったことに間違いなかった。
しかし、甲府は12月7日に行われたホームの第1戦を2-1で勝利する。そして、運命の第2戦で、第1戦をしのぐ驚くべき結果を生み出す。甲府はアウェーの不利をものともせず、6得点を奪取するド派手なゴールラッシュ劇を見せたのだった。そして、この6得点はたった1人の選手によって記録されることになる。その選手の名前は試合後に高ぶった感情を携帯電話で伝えていたバレーだった。
それまでの個人による1試合の最多得点は呂比須ワグナー(名古屋グランパス)、中山雅史(ジュビロ磐田)、エジウソン(柏レイソル)、野口幸司(ベルマーレ平塚)による5得点だった。バレーが圧倒的な存在感を発揮したこの試合はJ1参入戦であり、特別な2連戦だったが、リーグ戦に関係する試合としては最多ゴールとなった。
ただ、その後この記録は塗り替えられる。2019年に当時J2に所属していた柏のストライカーであるオルンガが8得点(試合は13-1で柏の勝利)と驚異的なゴール数を記録し、Jの歴史にその名を残している。最多得点の座は後退したが、それでもバレーの6ゴールは試合の重要性という部分で言えば高く評価できる。この結果、甲府はチーム初のJ1昇格を果たすことになる。まさに甲府にとってはチームの歴史に刻まれる重要な勝利となった。
バレーは長身で体格もよくフィジカルで勝負するタイプのストライカーだった。第1戦でも先制を許した甲府を勝利へと導く、逆転の2点目を挙げている。そして、第2戦では前半10分にゴールラッシュの口火となる先制点をマークし、その15分後の2点目となるPKも確実に決める。早々の2得点で精神的に余裕が生まれたのか、バレーはゴール前で冷静に、そしてミスを恐れないダイナミックなプレーで次々とゴールネットを揺らしていった。
甲府の6ゴールのうちでクライマックスとなったのは後半8分の3点目だ。2-1で甲府リードの状況から生まれたこの3点目が勝敗の趨勢を決めたと言える。
3点目を決める1分前に失点していた甲府は、再開のキックオフから柏に1度もボールを触れさせず、スピードに乗ったパス交換からゴールをゲットした。最後のバレーが放ったフィニッシュの軌道は伸び上がるように飛んでいき、ゴールネット上部に突き刺さったのだった。さらに、甲府は意気消沈しマークも甘くなった相手に、たたみかけるようにゴールを量産し結果、6-2の大勝を飾った。
言うまでもなくストライカーの仕事でもっとも重要なことはゴールを挙げることだ。しかもチームの命運を握るような一戦で決定的な仕事をやってのけたのだから、バレーのプレーはまさにストライカーと呼ぶに相応しい活躍だった。6ゴールも決めれば、自分の活躍をすぐに携帯電話で伝えたくもなるというものだ。
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。