「僕が責任取ります」 元日本代表監督、“1試合限定”から正式就任への舞台裏「脅迫電話が止まらなかった」
岡田武史氏は更迭された加茂周氏の後を継いで日本代表監督に就任
元日本代表監督の岡田武史氏が、元日本代表MF前園真聖氏のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演。日本代表のコーチから監督となった真相について語っている。
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日本代表は1997年10月4日、加茂周監督を更迭し、代理監督として当時コーチだった岡田氏が代理監督としてワールドカップ(W杯)アジア最終予選ウズベキスタン戦の指揮を執ることになった。
しかし、元日本代表MF前園真聖氏の公式YouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演した際、「加茂さんに呼ばれて行ったんだから、(監督の)加茂さんが解任されるなら、(コーチの)俺も解任。1試合だけの約束でやった」と振り返っている。
1997年10月11日に敵地で行われたウズベキスタン戦、前半32分に先制を許した日本は、後半45分に途中出場したFW呂比須ワグナーのゴールで追い付き、なんとか1-1と引き分けた。岡田氏の中では、この試合で自分なりの手応えがあったという。
「ウズベキスタン戦、攻めても攻めても点が入らなくて、カウンターでやられた。最後、ストッパーの秋田(豊)を前に上げて、井原(正巳)に『蹴れ!』と言って、ロングボールをどーんと上げたら、カズ(三浦知良)と秋田がクロスした。そしたら相手GKが目測を誤って、ポンポンポンと入った。『これで入るの?』と。これはひょっとしたら行けると直感した」
岡田氏はウズベキスタン戦後の記者会見を、「弾劾裁判」と笑いながら表現した。
「これはひょっとするとひょっとすると言ったら、嘲笑された。ロッカールームに行ったら、みんな『ダメだ』と泣いていた。冷静な山口素弘まで泣いていた。俺も苦しくて逃げ出したかったけど、それを見た時に選手たちも苦しいんだ、選手たちを置いて逃げちゃいけないと思って、加茂さんに電話して『最後までやらせてください』と言ったら『岡ちゃんがやれ』と言ってくださって。(日本サッカー)協会に行って、『最後までやります。僕が責任取ります』と」
渦中の日本代表の指揮官となることによる余波もあったようで、岡田氏は「(当時)41歳で有名になるなんて思っていなかったから、電話帳に個人情報を載せていたから、脅迫状・脅迫電話が止まらなくて、家の前は24時間パトカーが守っていた。とんでもない状況だった。ワールドカップがどんなものか分からなくて、みんなクレイジーになっていた」と苦笑しつつ、懐かしそうに振り返っていた。