無名FWに突如オファー「ぜひ力を」 大学2部から…J1得点王&MVP、飛躍の原点となったJ2ユニ時代【コラム】

小林悠が水戸でのプロデビューを回想【写真:Getty Images】
小林悠が水戸でのプロデビューを回想【写真:Getty Images】

川崎ベテラン小林悠がJデビューを刻んだ“甲府の地”…16年前を回想

「よく覚えてますね」

 とある話題を向けると、小林悠はそう感心しながら微笑んでくれた。

 それは、今月にJITリサイクルインクスタジアムで行われたルヴァンカップ準々決勝・川崎フロンターレ対ヴァンフォーレ甲府の第2戦のこと。

 ベンチ入りしていたものの、出場機会はなかった。だがこのスタジアムは小林にとって、記念すべきJリーグデビューを刻んだ場所だったのである。後日、そのことを練習場で尋ねると、冒頭の答えが返ってきたというわけだ。

「懐かしかったですよ。『ここでデビューしたんですよ』ってトレーナーにも話していました。水戸で試合に出たことを知らない人も多いので。感慨深いですよね」

 それは今から16年前、2008年夏のことだ。当時、拓殖大学の3年生だった小林悠はJFA・Jリーグ特別指定選手としてJ2水戸ホーリーホックでプレーしている。

 2010年から川崎フロンターレ一筋でプレーし続けている小林は、プロになってから他クラブのユニフォームに袖を通したことはない。だが唯一ともいえる例外を挙げるとすれば、学生時代に特別指定選手として所属した水戸である。

 当時の小林は関東大学サッカーリーグ2部で目立ち始めた程度のFWだった。スカウトがこぞって注目するような選手ではなかったものの、練習試合でのパフォーマンスが水戸の木山隆之監督の目に留まり、特別指定の打診を受けたのだという。当時のいきさつを、以前に小林に聞いたことがあるのだが、こう説明してくれた。

「拓殖大学と水戸で練習試合した時に僕がけっこう活躍したんですね。ちょうど水戸のFWが怪我人だらけで、荒田くん(荒田智之)ぐらいしかいなかった。そこで木山監督から『ぜひ力を貸して欲しい』と言われました。前期が終わって大学リーグが休みで、僕からしたら『よろしくお願いします』という気持ちだけでした」

 関東大学サッカーリーグ2部の自分がどれだけ通用するのか。

 まだ何者でもない自分の力をプロの世界で試してみたいという思いが強くなり、飛び込むことに迷いはなかった。実家を出て、クラブの寮に住んで練習に通う毎日が始まると、学生の場では感じられない緊張感があったと話す。

「当たり前ですけど、アマチュアとプロの厳しさの違いですよね。学生とは全然違いました。プロに行くと、お金を貰ってサッカーをやっているし、お金を貰って試合に出る。お金を貰ってサッカーをするというのは、それだけ厳しいのだとシビアな一面を見ることができました。大学のチームでは自分が一番だったけど、プロってこういうものなんだなと。刺激的でした」

 特別指定選手としての登録が承認された直後の7月20日には、小瀬スポーツ公園陸上競技場(当時)のJ2第27節のヴァンフォーレ甲府戦で、いきなりスタメン出場を果たしている。小林にとって、実はこれがJリーグデビューであり、それを飾った場所が現在のJITリサイクルインクスタジアムだったのである。当時の心境を、こう語ってくれている。

「緊張はなかったです。お客さんがあんなに多い中で試合をするのは初めてで、思い切ってやったのですごく楽しかった。あとは家族が甲府まで見に来てくれたんです。ずっとプロを目指してやっていて、特別指定ですけど、そういう姿を見せられたのは嬉しかったですね」

 偶然にも、筆者はこの時の試合を現地で観戦している。スタメン表を見たら、水戸のFWに「小林悠」という見慣れない名前があり、どうやら特別指定で登録されたばかりの大学生とのことだった。

 世代別代表でもない大学生ということもあり、さほど気にも留めていなかったのだが、試合の立ち上がり、セットプレーからその選手がいきなりゴールネットを揺らして驚いたのを覚えている。もっとも、この得点はその直前に味方のファウルがあったとして取り消されてしまった。もし認められていたら、あれが小林悠にとってのJリーグ初ゴールになっていたことになる。

プロの練習参加から3日で試合出場、夢が身近な目標に

 16年前に刻んだJリーグデビュー戦の記憶。改めて尋ねてみると、本人はこう懐かしむ。

「練習参加してから3日ぐらいで試合に出たんすよ。中盤の選手から『守備の仕方が違う!』って怒られました(笑)。 『……いや、習ってないよ』って思ってやってました。でも本当にいい経験をさせてもらいましたね」

 夏休みの期間に在籍し、水戸では5試合に出場した。ゴールを挙げることはできなかったものの、プロと日常を過ごし、その舞台で経験を積んだ水戸での1か月は、小林のキャリアの中でかけがえのない宝物となっている。プロという夢が身近な目標に変わり、サッカーで生きていこうと覚悟を決めた時期でもある。

 その後の小林の活躍は多くを語るまでもないだろう。

 プロ2年目の2011年にJ1で12得点を記録してブレイク。14年には日本代表にも選出され、17年にはJリーグMVPと得点王を獲得。現在は歴代得点ランキング7位と、すでにJリーグ史に名前を残すストライカーとなっている。

 同世代で現役を続けるストライカーは随分と少なくなったが、この試合のピッチには小学生時代からよく知る三平和司が甲府のスタメンとして前線で奮闘していた。

 怪我なくプレーできていると話す三平に「俺はボロボロ。自分が先かも」と小林は自虐まじりの冗談を飛ばしていたそうだが、試合後は「お互い頑張ろう」と励まし合い、「自分も『やらなきゃ』って思う」と、再びモチベーションを高めていた。

 小林にとって、甲府の地は初心を思い出す地ともなったようだった。

 そして18日のACLE(AFCチャンピオンズリーグエリート)の初戦・蔚山HD戦ではスタメンとして出場。巧みなプレッシングで守備のスイッチを入れて、貴重な勝利に貢献するベテランの姿は健在だった。

 9月23日に37歳を迎えたが、小林はまだまだ走り続けていく。

(いしかわごう / Go Ishikawa)



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