完敗の中に見えた復活への“ヒント” 浦和、スコルジャ監督に求められる意識改革とは?【コラム】

浦和のマチェイ・スコルジャ監督【写真:徳原隆元】
浦和のマチェイ・スコルジャ監督【写真:徳原隆元】

【カメラマンの目】組織として崩すアイデアを欠いた浦和の課題

 試合後、サポーターに挨拶をするためスタジアムを周る浦和レッズの選手たち。指揮官が交代し、仕切り直しとなった最初のホームゲームということで、サポーターたちの期待は、さぞかし高かったことだろう。しかし、スタンドを埋めたサポーターはもちろん、選手たち自身も試合前に思い描いていた内容とはまったく違う、完敗した自分たちのサッカーに失望の色が深く滲んでいた。

“勝手知った我が家”とまでは言わないが、マチェイ・スコルジャ監督は昨シーズンの1年間を浦和レッズの指揮官として過ごしている。浦和というチームを理解している人物だ。再びの就任となり、まったくの新しい監督よりもチームの指導にアドバンテージがあったはずだが、9月21日に行われたJ1リーグ第31節の対FC東京戦に限って言えば、浦和は多くのサポーターの後押しを受けたホームで0-2と結果、内容ともに完敗する現実を突きつけられた。

 振り返れば、昨年の浦和は組織的な守備がチームを支えていた。その組織による力強い守備の根幹を支えていたのは酒井宏樹やアレクサンダー・ショルツ、伊藤敦樹だった。彼らは対人の強さを誇り、なにより試合への集中力も高かった。

 しかし、彼らはもうチームにいない。浦和はFC東京のカウンター攻撃の起点となった中盤のパスの出しどころを抑えられず、さらに自陣での局地戦でも安定感を欠いた。

 ゴール裏からカメラのファインダーの中に映る浦和守備陣は、マチェイ・スコルジャ監督が目指す組織力の象徴となる人数は確かに揃っていた。だが、局地戦での勝負弱さを露呈し、それは精神面における集中力の欠如に起因しているように感じた。

 対してFC東京は厳しいプレーで浦和の動きを封じて自由にサッカーをさせなかった。最終ラインの要である森重真人は、浦和のセンターフォワード(CF)を激しくマークし仕事をさせなかった。前線のディエゴ・オリヴェイラも全盛期と比較して、攻撃面では圧倒的な存在感を放てなくなっているが、フォア・ザ・チームの精神を持って守備面でチームに貢献していた。

 結局、ホームチームはこのFC東京の戦う意識を強く持ち、それを実際のプレーで表現したタイトな守備を最後まで攻略することができなかった。

 浦和の攻撃は個人技による単独ドリブルでの状況打開が多く、組織として崩すアイデアを欠いていたことは否めなかった。これではこの日、好調だったFC東京の守備陣が待ち構える最終局面を崩すことは難しい。中央を抜けない浦和は苦し紛れでミドルシュートを放つも、FC東京のGK野澤大志ブライトンの好守に阻まれた。攻撃面でも連係の意識は低く、勝利を渇望する集中力を欠くような無理なプレーが目立った。

 ただ、この試合を見た多くの人が感じたことだろうが、マチェイ・スコルジャ監督が浦和再建のために、まず着手しなければならないことは守備の整備だろう。そして、それは技術的な指導というより意識改革が最優先事項となる。

 1失点目となったオウンゴールのような、ノープレッシャーでの状況でチームの士気にかかわるようなミスが出るようではゲームを作れない。これは組織として戦術を遂行できるかどうかといった以前の問題だ。軽率でつまらないミスを繰り返さないためには、選手の試合へと臨む心構えが重要になる。

 苦境に立たされている現実を理解し、厳しい戦いを勝ち抜く強い覚悟が選手たちに求められる。そうした意識を指揮官が選手たちに吹き込めるかが浦和浮上の鍵だ。

(徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)



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徳原隆元

とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。

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