“持っていない男”から“持っている男”へ 「最終予選」の呪縛から解放…南野拓実が復活した訳【現地発コラム】
中国戦では2ゴールをマーク
森保一監督率いる日本代表は9月10日に北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選の第2戦、敵地でのバーレーン戦に臨む。MF南野拓実は初戦の中国戦で2ゴールを記録。「最終予選」と名の付くものに苦しんできた南野だったが、2度目のW杯に向けて滑り出しは上々だ。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞)
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「チームとしても過去の大会でこれ以上ない、いいスタートを切れた。結果的には。まだそれは本当ただの1試合で、最終予選が終わるまでは全くわからないんで、今このアウェーの地に来てサッカー以外の環境の難しさも感じていますし、だからといって何も油断はしたくないなっていうのが自分の気持ち。自分の役割は確かに前回の最終予選でプレーしたときよりも頭はすっきりしている。自分がチームでやってるときのようにスムーズに体は動いてるかなと自分的に思います」
伸び伸びと、何よりもサッカーを楽しんでいた。中国戦ではMF三笘薫を生かすスペースを作り出す動きだけでなく、フィニッシャーとして2ゴールをマーク。南野の存在は欠かせないと周囲に納得させた90分間だった。
“最終予選”には苦しんできた。2014年10月、U-20W杯出場権が懸かったU-19アジア選手権でエースとして出場した南野は4試合4得点の活躍。だが、PK戦までもつれた準々決勝・北朝鮮戦で自身が決め切れずに敗れてしまい、U-20W杯切符を獲得できなかった。
2016年1月のリオ五輪最終予選、チームはアジア制覇を果たして五輪切符を獲得したが、自身はノーゴールで大会を終えた。当時、手倉森監督から練習後のピッチに呼ばれ、1人座らされた。「お前はできる」。約15分、マンツーマンの青空ミーティングを開いたこともあった。
そして、カタールW杯最終予選。チームが黒星スタートを切ったなかで、背番号10は壁にぶつかった。大会を通じて1ゴールを挙げたものの、常に重圧と戦い続け、思うようなパフォーマンスを発揮できなかった。
だが、南野はそこで終わらなかった。日本代表から外れても、自身と向き合い続けた。イングランド1部リバプールから移籍したASモナコ1年目も結果が出なかったが、2年目にザルツブルク時代の恩師アドルフ・ヒュッター監督が就任して激変。森保ジャパンにも復帰した。
私自身、モナコを訪れた際に現地の人から「タキを知っているか?」と何度も声を掛けられた。街中に大きな南野のパネルもある。昨年10月に代表復帰した際には今までの南野と違っていた。
だからこそ、今大会で南野が出している結果に何の違和感もない。黒子の役割も主役にもなれる。“持っていなかった男”はすべてを糧にして“持っている男”に生まれ変わったのだ。
これは本当に簡単なことではない。並大抵の努力では跳ね返すことができないし、代表復帰の道は閉ざされていただろう。重い重い扉をこじ開け、今ピッチに立っている。「頭はすっきりしている」。その言葉に込められた意味の深さを感じられる。まだまだここから――。再び世界と戦うときまで。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)