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マグマのような「制御不能の才能」 “天才”柿谷曜一朗はなぜ大成に遠回りしてしまったのか【コラム】
【カメラマンの目】柿谷曜一朗の自信は「制御不能の才能」
天才とは常人には分からない感覚を備えているものだ。そう実感した日本人サッカー選手の話である。
プロサッカー選手のタイプに線を引けば、「努力型」と「天才型」の2つに分類できる。
もちろんサッカーを職業とする人の誰もが才能を持っている。その才能を努力によって昇華させ、日本サッカーのトップへと駆け上がった努力型の代表格となるのが三浦知良ではないだろうか。
高い資質を持ち、さらに厳しいヒエラルキーを勝ち抜く手段として、三浦は高校を中退して単身ブラジルに渡り技術を磨く。そして、プロサッカー選手として成功を収め、日本サッカーの発展に大きく貢献するまでの存在となる。ほかにも現在は横浜FCでチームを指導している中村俊輔コーチも努力型の選手だと思う。
対して天才型は誰もが認めるところの小野伸二氏だろうか。
あふれる才能を武器に、ハイレベルなプレーを見せる天才型の選手を記憶の中から紐解いてみると、ある選手を思い出した。
選手の名前は柿谷曜一朗。2008年の10月に当時18歳だった彼のインタビュー取材に、写真撮影のため同行した時のことだ。この時の柿谷は自らの才能に絶対の自信を持っていた、と思う。実際にアンダーカテゴリーの代表でのプレーでも、彼は同世代の選手のなかで、ほかの追随をまったく許さない圧倒的な才能を見せていた。
そうしたまさに怖い者知らずといった自信は、決して激しい口調などで表されるのではなく、柿谷の心の中に宿り、彼が醸し出す雰囲気から感じ取れたことだった。ただ、その内包した自信は、マグマのようにどこか危うさを含む制御不能の才能とも感じた。
ひと通りインタビューと撮影が終わり雑談となった。ここで彼の天才を知ることになる。時も過ぎ、些細な会話だったので本人はおそらく忘れてしまっていることだろう。
柿谷の天才ぶりはピッチ全体を俯瞰できる能力に連動
アンダーカテゴリーの代表で見た柿谷のプレーは、単独でのドリブル突破に的確な味方へのパスと、チーム内において比肩する選手がいないほど大きな存在であった。撮影をしながらインタビューのやり取りを聞いていて、1つ感じたことがあったで尋ねてみた。柿谷の言葉からは自分がピッチに立ちながら、試合を俯瞰して見られているように感じたので、そのことを聞いてみると彼はそうだと答えた。
そうなると、柿谷は「実際のピッチで行うサッカーで、コンピューターゲームをしているように試合を見ているのか」と思ったのを今でも覚えている。
ピッチ全体を俯瞰する能力があれば、相手の守備網の弱いところを容易に見つけ出すことができる。そして、柿谷の敵を切り崩すプレーは単独突破にせよ、コンビネーションプレーにせよ精度が高い。柿谷のハイレベルなプレーは俯瞰で試合を見られることで生まれていたのだ。
ただ、才能は間違いなくある。しかし、扱いづらい選手でもあった。当時の柿谷は才気に走って、私生活の面で真のプロフェッショナルとは呼べない部分があり、大成するのに遠回りをすることになる。
それでもさまざまな経験をすることによってサッカーへの取り組み方も変化し、フル代表まで上り詰めていった。
その柿谷は常人には分からない感覚を武器に、今もピッチに立っている。
(徳原隆元 / Takamoto Tokuhara)
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。