町田J1首位陥落も…黒田監督「プラン通り進んだ」 “鹿島に通じる”勝者のメンタリティー【コラム】
勝者のメンタリティーや競争力が構築されつつある町田の現状
中味と結果が度々裏返るのがサッカーの難しいところだ。
終了間際の同点ゴールで辛くも勝ち点1を拾い上げたFC町田ゼルビアの黒田剛監督は語った。
「チャンスをしっかり決め切る彼らのシュートスキルのなさが最後までつきまとった。特に後半は相手のポゼッションを遮断し、空中戦の強さも生かしてプラン通りに上手く進んだ。悪くても2-0、しっかりやれば3~4点は取れていた試合だった」
国立競技場と相性の悪い町田だが、5万人に肉薄する大観衆の前で面白いようにチャンスを創出した。一方、ペア=マティアス・ヘグモ監督を解任した浦和レッズは、マチェイ・スコルジャ監督を再招聘。手続きが整うまでの間を池田伸康コーチが暫定でつないでいた。
ここまで首位を走る町田に対し、浦和は下位に低迷。歴史と現況は逆転し、浦和は「町田の良さを消す」(池田暫定監督)ために守備に重きを置き、前半セットプレーのワンチャンスで先制を許した町田は、いかに崩すかを焦点に後半から微調整を施す。
「プラン通りに進んだ」という黒田監督の言葉に嘘はない。実際、後半開始早々の4分に追い付くと、得意のサイドからの崩しを連ねて再三浦和ゴールに襲い掛かった。それに対し、浦和の池田暫定監督は「選手たちにバタバタした感じはなかった」というが、明らかに瀬戸際のピンチが押し寄せるDFには焦燥の色が濃かった。
例えば後半21分には、こんなシーンがあった。右サイドでパス交換をした白崎凌兵が逆サイドへ振ると、ナ・サンホがワンタッチでつなぎ、今度は左から下田北斗がクロス。完全にマークを外しフリーの藤尾翔太の頭へと綺麗に軌道を描いた。だが、教科書のような見事な崩しは画竜点睛を欠く。
「あれは完全に西川(周作=浦和GK)さんの反応も遅れていたのに、ふかしてしまった。あそこに入れたのは良かったとしても、決められなければ意味がない」(藤尾)
「たしかにウチは中央に空中戦に強い選手がいますが、ただクロスを上げるのではなく、目線を変えてセンターバックとかを少しずらしてから送る。ああいう攻撃を増やせれば、チームとしてもっと良いのかな、と思います」(白崎)
初昇格ながら町田は、アグレッシブにチームを変化させている。この夜のスタメンのうち、開幕戦でもキックオフからピッチに立っていたのは、守護神の谷晃生と、ナ・サンホ、オ・セフンの韓国コンビのみ。夏に移籍して来た白崎、中山雄太、杉岡大暉が早速ポジションを占め、ほかに相馬勇紀も加入している。また良質なキックが武器の下田が主軸に名を連ねるようになり、ピッチの左半分にレフティー3人が絡み、とりわけ攻撃面では機能性も質も向上した。もはや町田は単なる新参ではなく、十分に頂点を狙える戦力的な裏付けが整ったと見ることもできる。
ただしいくら経験値や質の高い選手を加えても、それが即結果に直結するとは限らない。この試合でも浦和にシーズン2度目のクロスからのゴールを許し、その後自陣でのクリアーボールを拾った松尾佑介にゴールネットを揺らされている。浦和側にボールと無関係なファウルがあり取り消されたが、もしこれほど圧倒的攻勢の試合で完敗の結果が導かれていたらダメージも倍化したはずだ。そういう意味では、土壇場ですべて交代出場のミッチェル・デューク→藤本一輝→エリキですくい上げた勝ち点1は値千金だった。
これまで4つのクラブでプレーをしてきた白崎は言う。
「途中から加入して結果を出さなければならない。日々限界までやり切っています。トレーニングから強度も高く、ほんの少しの妥協や隙も見せられない。この刺激は鹿島(アントラーズ)時代に通じるものがあります」
すでに町田には勝者のメンタリティーも競争力も構築されつつある。広島が7連勝した間に勝ち点12の差を詰められ首位の座を譲ったが、このプロセスにも悲観的な要素ばかりが詰め込まれているわけではない。
(加部 究 / Kiwamu Kabe)
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。