苛立ち露わ…レンズを通して見えた「負の感情」 完敗で浮き彫りになった鹿島の課題【コラム】
【カメラマンの目】東京V戦で感情コントロールができず勝負への集中力を欠く
試合後、サポーターたちの待つスタンドに向かう鹿島アントラーズの選手たちの表情は、誰もが険しかった。当然だろう。現実的にリーグ優勝を狙える上位に位置する鹿島にとって、8月25日のJ1リーグ第28節・対東京ヴェルディ戦はまさに術中に嵌り、内容的に完敗した敗戦だったのだから。
前節の対浦和レッズ戦に続き、鹿島はこの東京Vとの試合でもタフな戦いを繰り広げた。ただ、その内容はお互いが激しい闘志をぶつけ合い、見応えのある90分間となった浦和戦とは大きく異なり、鹿島は好勝負へと導けず、試合をコントロールすることができなかった。いや、自分たちの感情をコントロールできなかったと言っていい。
鹿島は東京Vの守備に手を焼いた。中盤でボールを持つと東京Vの素早く、そして激しいマークで動きを止められ、ゴール前へと進出しても5バックの守備網を敷く、二段構えのディフェンスに阻まれゴールを攻略できない。ハードな寄せにボールキープもままならず、攻撃の流れを停滞させられた。
なにより選手たちがハードマークを受けて上手くプレーできないことに苛立ちを露わにしていたことが、この試合での鹿島を象徴していた。相手の激しいプレーに対して激高し、さらに挑発的な態度をとる姿が鹿島の選手の何人かに見られた。
そうした姿はチームを鼓舞する発火点になるはずもない。露骨な苛立ちはチームの雰囲気を悪くし、勝負への集中力を欠く要因となる。
案の定、東京Vの狙い通りの展開で試合は進む。鹿島はベンチワークも振るわない。2失点を喫しても、選手交代による挽回への有効的な手も打たれることはなかった。最終盤に1点を返したものの、敗戦のなかからプラス要素を見つけ出すには難しい試合内容に終わった。
ゴール裏からカメラのファインダーを通して見た、鹿島の選手たちの負の感情をピッチで露わにする姿は、決して気持ちのいいものではなかった。指揮官も選手たちの行き過ぎた感情を抑え、勝利を競う方向へとエネルギーを向けられなかったことは、チームとしての稚拙さを表している。
上位の神戸、広島より劣った“精神面の充実感”
今シーズンの鹿島にはここ数年、続いていた頂点へと突き抜けられない、どうにももどかしい停滞感からは脱し、再び戦う集団としての逞しい姿を取り戻しつつあると感じていた。しかし、こうした実りのない試合を見てしまうと、選手、指導スタッフを含むチームを取り巻く精神面の充実という観点からすると、鹿島はヴィッセル神戸やサンフレッチェ広島と比較して、やはり劣っていることは否めないとも思ってしまう。
たとえば同じ対東京V戦で考えると、広島は8月7日に味の素スタジアムで行われた第25節の試合で、ホームチームの旺盛な守備にくじけることなく、冷静に真っ向勝負を挑んで勝利を奪取している。
対して鹿島は相手の激しいプレーに対して同じプレーで対抗するのではなく、泣き言を言うように負の感情を発散し、勝負への集中力を欠き自滅した。
長丁場のリーグ戦を無敗で戦い抜くことは決して不可能ではないが、達成への難易度はかなり高い。サッカーでは試合に負けることは普通だ。それを責めたところで未来はない。問題は負けたことではなく、その内容だ。
鹿島はこの対東京V戦で見る人に誇りを感じさせる戦いをしたのか。一途に勝利のために闘志を燃やして戦ったのか。とてもそうとは思えない。
敗戦よりそうした姿勢が問題であり、これから優勝を賭けた戦いに向けて“大人のサッカー”ができるかが鹿島の課題だ。
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。