家庭環境が「苦しかった」学生時代、苦境経て日本代表へ…「1日20時間バイト」の兄に感謝【インタビュー】
太田宏介氏が全国で無償のサッカー教室を開く理由とは
元日本代表DF太田宏介氏は、現役引退後に企業や行政と協力し、子供たちへ全国各地で無償のサッカー教室を開校している。プロのサッカー選手になる前から抱いていた夢を実現するため奮闘する太田氏を「FOOTBALL ZONE」が直撃。幼い頃の境遇が、今の大きな原動力になっているという。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・金子拳也/全4回の3回目)
【PR】ABEMA de DAZNで欧州サッカー生中継!伊東・鎌田ら注目の日本人選手所属クラブの試合を一部無料生中継!
◇ ◇ ◇
東京都町田市出身の太田氏は、麻布大学附属渕野辺高等学校で全国高校選手権大会に出場。高校卒業後、2006年に横浜FCと契約しプロの道に入った。その後は清水エスパルス、FC東京、フィテッセ(オランダ)、名古屋グランパス、パース・グローリー(オーストラリア)と数々のクラブを渡り歩き、22年からは地元のJクラブFC町田ゼルビアへ完全移籍(当時J2)。J1昇格を決めた23年シーズンで現役を退き、現在は古巣・町田のアンバサダーを務めながら多岐に渡る活動を行っている。
引退後もサッカーに携わる仕事をしていくなかで、太田氏は大きな思いを秘めた“子供たちへの無償のサッカー教室”を開く。2024年に企業や行政と協力して始動したプロジェクトは、今後47都道府県で展開する予定だ。
太田氏がこうした無償のサッカー教室を開いたのは、幼い頃家族で苦労した“体験”が根本にあるという。「経済的にすごい苦しかったです。日々厳しい毎日でした」と境遇を振り返る。「当時サッカー用品買いたくても買えなかったり、近くでよくあるJ選手や元日本代表の選手が来るようなサッカー教室などのイベントは常に参加費がかかって行けなかった」とお金の面で苦労し、懸命に生活してきた影響を明かした。
「特に中学校1年生ぐらいに家庭でいろいろあって、状況が変わりました。ずっと母親と兄との3人生活だったんですけど、わがままを言って『何か買って』『これしたいあれしたい』って言うことが母親にとってすごい苦しくなっちゃうんじゃないかなとか……。色々子供ながらに感じて行動はとっていました。なんかもう、母親だけの力ではうちって生活できないんだなと。中学、高校と進学するなかでも、学校の授業料とか、遠征費とかがすぐ払えない。払えなくて、周りの人たちに支えてもらっていました。金銭的な援助をしていただいてサッカー辞めずにここまで続けることができ、僕はプロのサッカー選手になれたんです」
こうした背景があり、当時より「常に感謝の気持ちを持って、出会い支えてくれる人への感謝を忘れずに。人を大事にするというようなことをずっと意識してやってきました」と、自らの指針が形成された過程を語る。この思いを事業に乗せたのが、今年からスタートした無償のサッカー教室だ。現在太田氏の開く教室では、最大で300人ほどの子供たちが集まりサッカーを楽しんでいる。
「具体的に考え始めたのは、2、3年前ぐらいですね。同じような境遇にある子供たちが、誰でも平等に参加できるスクール、そして各地でサッカー教室なりスポーツイベントを開催して将来、参加してくる子供たちにとって、将来の夢や目標になるようなきっかけ作りをしたいという思いがありました。夢を持つきっかけ、刺激ってものすごい力がありますから。とにかくそういった機会をたくさん作ってあげたいっていうのが一番の思いです」
兄は起業し成功、自身はプロとしてキャリアを築き次の舞台へ
関わった人たちすべてへの感謝が、今の原動力になっていると語る太田氏。大変な時期の家庭を支えてくれた母親の存在は大きいが、すぐそばにいた兄の背中も大きかったようだ。「僕には6歳上の兄がいて、親の離婚があったり家庭環境がぐっと崩れた時に、大学に通っていた兄が1日20時間ぐらいバイトをしてくれて。僕のサッカーにかかる費用、学費を必死になって工面してくれました」と、太田氏は懐かしそうに話す。
太田氏自身がプロのサッカー選手になったのは、兄の大学卒業から1年経った頃。兄は起業し、太田氏はサッカー選手として、お互い稼ぐようになった。「(兄弟で)別々のキャリアを歩んで、すごく自分たちでも成功したって言えるほどの成果を出してきて、そんな兄をずっと追いかけて見てきました」と、太田氏の憧れであったことも明かした。
兄の話をする太田氏は嬉しそうで、「本当にリスペクトしています」と笑顔がこぼれる。ビジネスを頑張る兄と、その背中を追いつつサッカー界へ貢献する太田氏。「現役を辞めて何でもできる今、将来的にはいつか一緒に兄弟揃って仕事をしたいですね」と、“恩返し”の思いも含んだ本心を口にしていた。
[プロフィール]
太田宏介(おおた・こうすけ)/1987年7月23日生まれ。東京都出身。FC町田―麻布大学附属渕野辺高―横浜FC―清水エスパルス―FC東京―フィテッセ(オランダ)―FC東京―名古屋―パース・グローリー(オーストラリア)―町田。Jリーグ通算348試合11得点、日本代表通算7試合0得点。左足から繰り出す高精度のキックで、攻撃的サイドバックとして活躍した。明るいキャラクターと豊富な経験を生かし、引退後は出身地のJクラブ町田のアンバサダーに就任。全国各地で無償のサッカー教室を開校するなど、現在は事業を通しサッカー界への“恩返し”を行っている。
(FOOTBALL ZONE編集部・金子拳也 / Kenya Kaneko)