リバプールと互角の戦い…昇格組イプスウィッチとは? 3万人が熱狂した“23年ぶりの一日”【現地発コラム】
2001年以来となるプレミアリーグでの戦い
今年もイングランドのサッカーシーズンが始まった。8月の国内では、世界的なニュースになってしまった暴動が勃発。一部には、フーリガニズムへの飛び火を危惧する声もあった。
だが実際は、いい意味でタイムリーな開幕と感じられた。この国の庶民が、連帯意識を丸出しにして、燃えたぎる熱い思いを合法的に爆発させられる喜びの対象。それが、サッカーなのだ。
8月17日、ホームでのリバプール戦(0-2)でプレミアリーグ開幕を迎えたイプスウィッチの様子が好例の1つ。満員の3万人が発したポジティブなエネルギーは、周辺の警備に90名を配した地域の警察からも、感謝とお褒めの言葉を頂いている。
2001年以来となるプレミアでのシーズン初日は、地元紙に寄稿した英国国会議員の言葉を借りれば、待ちに待った「歴史的な日」だった。大袈裟だと思われるかもしれない。昨夏のルートン・タウンなどは、プレミア(1992年~)としてのトップリーグ開幕初体験だった。しかし、20年以上前のプレミアを知っていればこそ、町を挙げて心待ちにしていたとも理解できる。
プレミアの一員としてのステータスが、クラブ、そして国内東部サフォーク州の州都にもたらすインパクトが違うのだ。当時も、所属20チームの合計収入が10億ポンド(約1900億円)台に乗って話題にはなっていた。だが、ピッチ上のみならず、帳簿上でも世界最高レベルの競争力を持つようになったリーグの経済力は、その5倍以上に達している。
ホームのポートマン・ロードには、ロンドンやマンチェスターといった大都市からも人々が訪れては、街にお金を落としてくれる。スタジアム裏手のトラベロッジ(バジェットホテル)は、月曜や金曜のナイター開催日ともなれば、遠方からのアウェーサポーターやメディア関係者の予約が殺到することだろう。
イプスウィッチ全体を包む高揚感は、金銭では計れない価値を持つ。開幕戦当日は、スタンドへのゲートが開く1時間以上前から、チームカラーの青いユニフォーム姿の人々が続々とやって来た。外は気温22度の晴天。キックオフは昼の12時半。運命の悪戯か、プレミアで最後の試合となっていた2001-02シーズン最終節と同じリバプール戦。はやる気持ちを抑えられなくても無理はない。
クラブショップの前には、2重、3重の行列ができていた。外側の列にいた女性は、売り出されたばかりのサードユニフォームがお目当てとのこと。色は、ピンク。最近は他チームでも見かけるが、イプスウィッチの場合は、郊外の古い家並みの外壁を彩る「サフォークピンク」という“ローカル・カラー”だ。
ユニフォームの胸には、「+-=÷×」というエド・シーランの現行ツアー名。3歳からサフォーク州を故郷と呼び、3シーズン前からスポンサーを務めるグラミー賞アーティストは、世界一有名なイプスウィッチ・ファンだろう。この日の相手チームにいた遠藤航も、初の海外移籍先だったシント=トロイデンの新顔として、彼の「シンキング・アウト・ラウド」を“儀式”で歌ったと自伝の中で明かしている。
今は亡き名将2人の名が冠されたスタンド
リバプール寄りの取材目的で訪れていた筆者にとっては、26年ぶりのポートマン・ロードだった。リーグカップ戦でイプスウィッチの中盤にいたマット・ホランドは、今やクラブの役員リストに名を連ねている。思い返してみれば、前回は対戦相手のチェルシーから、ジャンフランコ・ゾラの写真も観戦プログラムの表紙に掲載されていた。
今回の表紙は、味のあるイラスト。レトロなユニフォーム姿のお父さんが、最近のユニフォームを着た女の子を肩車している。今季のホームゲームでは毎回、地元出身アーティストの作品がプログラムの表紙を飾るとのことで、ますます気に入った。
監督コラムでは、キーラン・マッケナが「一体感がシーズンの鍵を握る」と述べている。2021年12月に就任し、続く2シーズンで3部リーグからの連続昇格を実現した38歳は、注目の国産若手監督。昨季終了後には、チェルシー新監督候補とも目されたが、新契約を結んで残留を決めている。過去2年半で特別な「絆」が生まれた同志たちと、プレミアに挑みたい気持ちは当然。本来、そうあるべきだとも言える。
1万人近く収容人数が増えたホームスタジアムは、北側のゴール裏スタンドにサー・ボビー・ロブソン、反対の南スタンドにサー・アルフ・ラムジーという、今は亡き名将2人の名を冠するようになってもいた。1969年から13年間指揮を執った前者は、FAカップとUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)のタイトルをもたらした。改名された北スタンドの外壁には、「一寸たりともボビー・ロブソンの上に位置する監督などいない」とする、サー・アレックス・ファーガソン(元マンチェスター・ユナイテッド監督)による賛辞がある。
後者は、イングランド代表の66年W杯優勝監督。大会3年前、FA(イングランドサッカー協会)は、その前年にクラブ史上初の1部昇格でリーグ優勝を成し遂げていた指揮官を引き抜いたのだった。イプスウィッチは、実績面でも地元民が胸を張れるクラブでもあるのだ。
スタジアム周辺を歩いていると、リバプールのチームバス到着に出くわした。2台目の運転手は、、スタジアム入り口で切り返し。すると、アウェーサポーターたちに混じって見物していたホームサポーターたちは、「一晩明けたらクビだな!」と合唱。通常は、プレッシャー下の相手監督をやり込めるチャントを歌いながら笑っていた。
スーパーコンピュターが降格を予想も…
陽気なムードは、試合が始まっても変わらなかった。前半は、内容的にも互角の0-0。プレッシングを含めて積極姿勢のイプスウィッチは、早々に両軍を通じて初のチャンスも手にした。
キックオフからの全力疾走が、後半のガス欠を招いた感はある。同15分からの5分間で、相手エースのモハメド・サラーにゴールとアシストを記録された。それでもイプスウィッチは、アメリカ資本の経営スタイルだけではなく、強豪戦でも攻撃的なサッカーのスタイルでも、「現プレミア所属メンバー」風と見受けられた。
試合後、遅めの昼食を取った市内中心部のマクドナルドで、2人の青年ファンに感想を聞いてみた。1人が「60分間はやれていた。リバプールじゃなく、サラーに負けたようなもんだ」と言うと、もう1人は「後半もエド・シーランがいてくれればなぁ(笑)」と、ジョークで反応した。
周りは立ちっぱなしで声を出すアウェーサポーター用の席で、耳鳴りがするような90分間だった筆者には聞こえなかったのだが、前半にはシーラン登場にもファンが湧いたらしい。当日の夜にセルビアでのコンサートを控え、ハーフタイムには空港へと向かわざるを得なかったようだが、見上げたサポーターぶりだ。
結果的には黒星発進となったイプスウィッチは、開幕前の下馬評では降格候補の一角を占める。次節は、アウェーでのマンチェスター・シティ戦。開幕2連敗は現実的だ。昨季は昇格組が揃って2部に逆戻りという、厳しいプレミアの現実もある。
しかしながら、今季の昇格3チームでは、イプスウィッチに最も分があるという見方もできる。2部王者として上がってきたのはレスターだが、監督のエンソ・マレスカと、チームMVPのキアナン・デューズバリー=ホールをチェルシーに持っていかれた。プレーオフで勝ち上がったサウサンプトンのリーグ順位は4位。その点、2位につけたイプスウィッチは、監督が自らの意思で留まり、主軸の流出もない。
オプタ社のスーパーコンピュターが、19位という予想結果を弾き出してはいる。しかし、いかにデータ色が強まる一方でも、ことイングランドのサッカー界は、エモーショナルな世界でもあり続ける。ホームのスタンドには、「クラブとは? それは大歓声、情熱、一体感」という意味の横断幕が張られていたが、イプスウィッチとは、このサー・ボビーによる名言を地でいくクラブだ。
地元全体が「12人目」となり、堂々と前を向いて戦うチームの背中を押し続けてくれるに違いない。帰りの電車を待つプラットホームのベンチで、前回プレミア当時のユニフォームを着た男性ファンも言っていた。「今日の前半はチームの自信になったはず。結果は出なかったけど、経験から学んでリトライすればいいんだ」と。
(山中 忍 / Shinobu Yamanaka)
山中 忍
やまなか・しのぶ/1966年生まれ。青山学院大学卒。94年に渡欧し、駐在員からフリーライターとなる。第二の故郷である西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会およびフットボールライター協会会員。著書に『川口能活 証』(文藝春秋)、『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリーライオンズ』、『バルサ・コンプレックス』(ソル・メディア)などがある。