38歳・興梠慎三の“浦和愛” 恩師に受けた多大な影響…引退後の野望は?「Jリーグタイトルを」
浦和FW興梠が恩師ミシャと自身の将来について話す
浦和レッズのFW興梠慎三は7月31日に埼玉スタジアムで記者会見を実施し、今季限りでの引退を表明した。引退後のプランについて浦和の監督を目指す野心があると表明したうえで、現北海道コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督を自身にとっての恩師として理想像に挙げた。
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宮崎県出身の興梠は、鵬翔高校から2005年に鹿島アントラーズ入りすると国内三冠の獲得に貢献した。13年に浦和へ移籍すると不動のエースとして君臨し、クラブのJ1最多ゴール記録を塗り替えた。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の2回優勝のほか、ルヴァンカップと天皇杯優勝に貢献。リーグ戦の年間制覇は果たしていないが、15年と16年にステージ優勝、16年は年間最多勝ち点の獲得に大きく貢献している。また、2022年は期限付き移籍先の札幌でプレーした。個人ではACLの日本人最多ゴールをマークしている。
日本代表では16試合の出場経験を持ち、2016年のリオデジャネイロ五輪はオーバーエイジとして選出されプレーした。そして、38歳の誕生日を迎えるこの日に引退を表明。多くの監督の下でプレーした興梠だが、2013年から17年途中まで浦和、22年に札幌で指導を受けた「ミシャ」の愛称で知られるペトロヴィッチ監督は特別な存在だったという。
興梠は現役生活の中で大切だった出来事にミシャとの出会いを挙げ「僕はこの人のために頑張ろうと思える人と出会うことが大切だと思っていて、それがまさしく自分にとってはミシャでした。この人のためにタイトルを取りたい、全力で戦いたいという一心でミシャの時はやっていました。そういう人と出会うことが大切だと思うし、誰かのためにやれば自分自身も成長できると思います」と話した。
特に浦和時代のミシャサッカーにおいて興梠は絶大な存在感を示した。1トップの位置でポストプレーやスペースを作る動き、フィニッシュに絡むプレーと全てにおいて一級品だった。15年や16年にFW李忠成、FW武藤雄樹とトリオを組み、それぞれの頭文字を取った「KLMトリオ」は浦和歴代の攻撃陣の中でも抜群の得点力を誇った。
将来的に指導者を目指し、浦和の監督になることについて「野心しかないです。浦和レッズの監督になって、自分が取れなかったJリーグタイトルを取りにいきます」と話す興梠だが、自身の考えるサッカーの理想を展開していたのがミシャだったと話している。
「ミシャの哲学は、自分たちが攻めていれば攻められることはないと。ボクシングに例えれば、ジャブを打ち続ければ相手の手は出てこない。だから攻め続けろというタイプでした。僕が監督になったらこうしたいと思っていることをそのままやってくれていた監督です。本当にミシャのサッカーは美しくて、見る人を魅了するサッカーだと思います。ミシャから教わったことを、僕が監督になった時は若い人に叩き込み、ミシャのような美しいサッカーをしていきたい」
引退後について「裏方として浦和レッズをサポートしたい」という言葉も残した興梠だが、将来的には“ミシャの後継者”として美しい攻撃サッカーを披露するチームを作り上げることを目指していく。
(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)