名門・東福岡時代の抜擢に「本当難しくて」 戸惑い→飛躍のきっかけに…五輪射止めた武器
【大岩ジャパン18人の肖像】MF荒木遼太郎(FC東京)を変えた高校3年の出来事
大岩剛監督率いるU-23日本代表は、今夏のパリ五輪で1968年メキシコ五輪以来、56年ぶりのメダル獲得を狙う。4位でメダルにあと一歩届かなかった東京五輪から3年、希望を託された大岩ジャパンの選ばれし18名のキャラクターを紐解くべく、各選手の「肖像」に迫る。
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荒木の武器は高い攻撃センスにある。前向きにボールを受けたら、ドリブルとパス、パスをしてからのランニング、スプリントの質、そして多彩なゴールアプローチと周りとの連係の質が非常に高い。
まさにセンスの塊と言える彼の原点は育成年代にある。ロアッソ熊本ジュニアユースでは足もとの技術と周りを見て状況判断する能力の土台を築き、ユースに昇格せずに高校サッカーの名門・東福岡に進む。1、2年の時は積み上げてきた技術をFWやウイングとして活用し、攻撃力を磨いた。そして高校3年生になると、今の礎となる唯一無二の武器を手にすることになる。
背番号10を託された荒木に与えられたポジションは4-3-3のアンカーだった。東福岡の伝統的な布陣で、荒木は当初、前述したとおりウイング、インサイドハーフで能力を発揮し、最高学年になってもそれらのポジションで起用されると思われていた。
しかし、適任者がいなかったという事情もあり、チームで一番攻撃センスがあり、技術がある荒木に白羽の矢が立った。結果としてこの1年が彼にとって「攻守に関わり続ける」という能力を磨き上げるきっかけとなった。
「これまでは攻撃のことばかり考えていれば良かったのですが、アンカーになったことで優先すべきはボールを奪われないことと、相手からボールを奪わないといけないという役割になったと感じています。これが本当に難しくて、以前のように仕掛けることだけを考えていたら、一気にカウンターを受けて失点に直結してしまう。この緊張感が全然違います」
当初は戸惑いもあったが、徐々に彼は相手のベクトルを折るターンや次のプレーを意識したボールの受け方、スペースを消したり、プレスバックを仕掛けたりと守備のアプローチの質もどんどん向上していった。
そして高校3年の夏を過ぎるとこれまでのポジションと変わらないほどアタッキングサードに顔を出すようになり、ドリブル突破からのシュートやワンツーからのポケット侵入など、守備のタスクをこなしながら、持ち前の攻撃力を発揮するようになっていた。
中盤ならどこでもできる、かつフィニッシャーとしても躍動できる。荒木の付加価値はどんどん膨らんだ。だからこそ、高卒で鹿島アントラーズに加入することができた。
「高3の1年間で考えてプレーする機会が本当に増えました。アンカーだと周りにすべてのポジションの選手がいて、その選手たちにボールを当ててからのセカンドアクションが重要になってくる。守備でもまず相手のアクションを見て、味方のアクションを把握して自分のアクションを起こす。常に頭を働かせることが当たり前のようになりました」
この習慣はプロになってから荒木の強烈な武器になっている。鹿島でルーキーイヤーから出番を重ねた時も、与えられたポジションで柔軟性と安定性を発揮し続けた。出番を失ったプロ3、4年目も常に考えながらトレーニングに取り組み、次に来るチャンスを掴み取る準備を怠らなかったからこそ、今年期限付き移籍をしたFC東京で再び躍動し、パリ五輪出場も射止めた。
FWでもサイドハーフでも、トップ下でも常に攻守のポイントから逆算して立ち位置を作ったり、プレー選択したりすることができる。パリではこのセンスとスキルがチームを助け、勢いをもたらしてくれるはずだ。
(FOOTBALL ZONE編集部)