大学まで無名も…Jで飛躍→欧州移籍 恩師確信した“覚醒”「ドリブルは誰にも真似できない」
【大岩ジャパン18人の肖像】MF平河悠(ブリストル・シティ)、無名から成りあがったキャリア
大岩剛監督率いるU-23日本代表は、今夏のパリ五輪で1968年メキシコ五輪以来、56年ぶりのメダル獲得を狙う。4位でメダルにあと一歩届かなかった東京五輪から3年、希望を託された大岩ジャパンの選ばれし18名のキャラクターを紐解くべく、各選手の「肖像」に迫る。
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平河悠のプレースタイルである切れ味鋭いドリブルのように、彼自身の勢いは一向にとどまるところを知らない。無名の存在から一気に世代屈指のサイドアタッカーに。パリ五輪メンバーに入っただけに留まらず、本大会より一足先に世界に飛び出して行った。
7月9日にイングランド2部のブリストル・シティへの期限付き移籍を発表し、ヨーロッパへ渡った。
「ずっと大事にしていることは相手が捕まえきれない選手になることです」
こう語る平河の何が凄いのか。それはスピード、アジリティー、ボールコントロールという基礎的な能力の高さはもちろん、ドリブルコースの最適解を瞬時に見極め、ドリブルをしながら仮にそのコースが塞がれたり、効果的ではなかったりした瞬間に判断を変えて、最適解を見出せるところにある。非常に頭のいい選手だが、時には強引にスピードでぶっちぎって仕掛けることもできるなど、知性と本能をうまく切り替えながらプレーできる。
なぜこれほどまでの逸材が大学時代まで全国的には無名だったのか。平河の出身校である佐賀東高校は平河以前にも赤崎秀平氏(元鹿島アントラーズなど)、中原秀人(鹿児島ユナイテッド)、中野嘉大(横浜FC)など複数のJリーガーを輩出し、インターハイで全国ベスト4が2回と、高校サッカー界では有名な強豪校の1つだ。
だが、平河は2年時の選手権でベンチ入りするも出番なし。3年になってレギュラーを掴むも、インターハイでは全国初戦敗退、選手権は全国に出られなかった。その影響もあり、当時からドリブルは目を見張るものがあったが、強豪大学からの目には止まらなかった。
しかし、「ドリブルは誰にも真似できないものを持っていた。大学に行って続ければ、必ずものになると思っていた」と語っていた佐賀東・蒲原晶昭監督の後押しもあり、東京都大学サッカーリーグ1部に所属する山梨学院大が彼のきらりと光る才能を見逃さずに獲得オファーを出したことで、運命の歯車はさらに回り始めた。
「佐賀東では狭いスペースで何ができるかなど、周りを見て考えながらプレーすることの大切さを知った。山梨学院大ではスペースがある中で、どんどん仕掛けていくなどのダイナミックさを学んだ」
じっくりと育成された逸材は、フィジカルが成熟していくに連れて、その能力をより幅広いプレーで表現できるようになり、一気に多くの選手を追い抜かしていくこととなった。
2021年に町田に加入すると、1年目こそプロのスピードとフィジカルに戸惑ったが、2年目で順応すると、3年目で不動の存在に。右サイドでも左サイドでも変わらぬ才能を発揮しU-22日本代表に初選出されるなど、一気に日の目を浴びた。そして、4年目でJ1の首位チームの飛躍のキーマンになり今、ヨーロッパ組としてパリ五輪で日の丸を背負って戦うことになった。
日本から世界の平河となるように。パリのその先にはA代表というステージが開かれている。
(FOOTBALL ZONE編集部)