Jトップ昇格も挫折…人生変えた「アジアの大砲」との出会い J2クラブ転々、叶ったパリ五輪行き
【大岩ジャパン18人の肖像】DF木村誠二(サガン鳥栖)の紆余曲折、プロ入り後の歩み
大岩剛監督率いるU-23日本代表は、今夏のパリ五輪で1968年メキシコ五輪以来、56年ぶりのメダル獲得を狙う。4位でメダルにあと一歩届かなかった東京五輪から3年、希望を託された大岩ジャパンの選ばれし18名のキャラクターを紐解くべく、各選手の「肖像」に迫る。
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挫折を繰り返しながら成長してきた男は、ついに夢の檜舞台に立つ時がやってきた。FC東京のアカデミーで過ごした木村誠二は、DFバングーナガンデ佳史扶などとともにU-23チームの一員として高校2年生からJ3リーグの試合を数多く経験。順調に成長を見せ、2020年にトップチーム昇格を果たした。
「フィードと対人には自信があります。トップチームは実力者ばかりなので、自分の良さを磨いて食い込んでいきたい」
そう意気込んでいた木村はルーキーイヤーでJ1デビューを果たすが、DF森重真人やDF渡辺剛などの実力者の壁を崩せず、翌年に当時J2の京都サンガF.C.へ期限付き移籍。そこでもスタメン争いに割って入れず同年の7月、今度は同じくJ2(当時)のSC相模原にレンタル加入した。
「背水の陣に近い気持ちで、覚悟を持って決めた」と、自身のサッカー人生を懸けてやってきたこの場所で、運命的と言える出会いを掴んだ。
かつて屈強なフィジカルを持った大型ストライカーとして「アジアの大砲」と呼ばれた高木琢也監督(当時)から、木村の持つ186センチのサイズに加え、多少のフィジカルコンタクトではビクともしないフィジカルの強さと、シャープなスウィングから繰り出される正確なフィードを高く評価された。
高木監督は3-4-2-1の布陣を採用。木村は当初3バックの左で起用されたが、彼のカバーリングの質とラインコントロールのうまさを見抜いて起用4試合目から3バックの真ん中へ。
この抜擢で木村は水を得た魚のように躍動した。4バックメインのチームに長くいたが、3バックのセンターという新たなポジションは、木村にとって自分の武器を存分に発揮できる天職だった。
4バックでも3バックでも計算が立つ重要なキーマン
木村の武器は前述どおり、サイズ、フィジカル、キックにあるが、実は最大の武器はスピードだった。ビルドアップの際の前への持ち出し、裏へのボールに対する反応、スペースやボールに到達するスピードがずば抜けていた。実際にチーム内でスピードなどの測定をすると、一番足が速かったのが木村だった。
高さと強さ、キックがあって、かつスピードもある。センターバック(CB)が持つべきすべての要素を持った木村は、3バックのセンターとして持てる能力をフルに発揮した。一発で局面を変えるロングフィード、広範囲のカバーリング……。実戦を重ねるごとに自らのプレーに対する自信は深まっていった。
相模原での半シーズンは木村にとって重要な土台となった。これがあったからこそ、22年に期限付き移籍したJ2モンテディオ山形で試合に出られない時期が続いても、同年7月にFC東京復帰を果たしてからも思うように出番を掴めなくても、木村は「自分はできる」と信じて努力を重ねられた。
そして今年、サガン鳥栖に期限付き移籍すると、キャンプで負傷するなど出だしで躓いたが、一切折れることなくリハビリとコンディションの向上に努めた結果、4月のU-23アジアカップでディフェンスリーダーとしてチームを統率。さらに準々決勝の開催国カタール戦では値千金の同点ヘッドを叩き込むなど、セットプレーから2ゴールをマーク。パリ五輪出場権獲得の原動力となり、帰国後は鳥栖で不動の地位を築いた。
大岩ジャパンにおいて4バックと3バックの併用は重要なポイントの1つ。4バックのCBもハイレベルでこなせて、3バックの中心にもなれて、かつ3バックの左右を任せても計算できる木村の存在は、世界を相手に守備を構築するうえで間違いなく重要なキーマンとなる。
挫折を乗り越え、欠かせない存在に成長した木村の真価は、まさにこの大会で改めて示されるだろう。
(FOOTBALL ZONE編集部)