筑波大は「勇敢」だった 誹謗中傷から監督が“防波堤”に…エースが告白、天皇杯の軌跡【コラム】
天皇杯3回戦でパリ五輪世代のストライカー細谷と内野が激突
放ったシュートはともに1本ずつだった。対照的にプレー時間は、筑波大のFW内野航太郎(2年)が延長戦を含めて120分間フル出場したのに対して、後半13分から投入された柏レイソルのFW細谷真大は62分間。そして、延長前半10分に細谷が放った唯一のシュートが、白熱の攻防が続いた一戦に2-1で決着をつけた。
後半終了間際にペナルティーエリアのはるか外側、25メートルを超える距離から迷わずに右足を一閃。強烈な一撃を見舞うもクロスバーの上を越え、勝ち越しゴールを奪えなかった内野が敗退を振り返った。
「最後まで力の限りプレーしましたけど、結果を出せなかった。相手は後半から細谷選手が出てきて、その細谷選手に決められてしまったのも自分としては悔しかったですけど、それでも後悔はない、と思っています」
柏のホーム、三協フロンテア柏スタジアムで7月10日に行われた筑波大との天皇杯3回戦。昨シーズンの同大会で準優勝しているJ1の柏と、6月の2回戦でJ1首位のFC町田ゼルビアを撃破する大番狂わせを起こした筑波大との激突は、前者が1点をリードして迎えた後半13分を境に別の意味での勝負も加わった。
大岩ジャパンで共闘してきた両チームのエースストライカーが、ゴールを奪えるかどうか。MFマテウス・サヴィオ、MF山田雄士の主力組とともに投入された細谷は、ヒーローになっても笑顔を浮かべなかった。
「自分が投入された時間が早かったですし、勝っている状況でしたけど、そのなかで追加点を取る、というのが自分の役割だと思っていたので。その意味でも後半のうちに追加点を取りたかった、という思いです」
2トップの一角で前半から奮闘していた内野は、選手が代わった後の柏の変化を実感していた。
「主力選手が出てからは勢いをもっていかれかけましたけど、それでもなんとか一矢を報いようと……」
次のゴールを奪ったのは筑波大だった。後半35分に獲得した左コーナーキック(CK)。ニアへMF高山優が放った鋭いクロスに敵味方の誰もが触れず、急降下してきたボールに、カバーしようとポジションを移してきた柏のキャプテン、DF古賀太陽の体がヒット。高山のゴールとアナウンスされた直後に、柏のオウンゴールと訂正された。
「追い付いたのでチームとしての勢いもありましたし、自分としても延長戦に入ってからも足が十分に残っていたので、チームのみんなには『もっと俺を使ってくれ』といった声掛けはしていました。最後までギラギラする姿勢や、諦めない姿勢は表現できたと思いますけど、最後の質のところで上手くいかなかった」
内野が振り返ったように、冒頭で記したミドルシュートの場面以外には、なかなかゴールに結び付くようなチャンスが巡ってこない。一方の細谷は、右CKを獲得した延長前半10分にゴールの匂いを嗅ぎとった。
「タニさん(大谷秀和コーチ)からは『ニアに入るように』と言われていましたけど、ただニアに入りすぎるとゴールを狙えないので、その少しうしろを狙っていました。いいボールが来たので、決めるだけでした」
キッカーのサヴィオがニアへ鋭いボールを放つ。ストーン役の筑波大の2人が必死にジャンプするも届かない。次の瞬間、相手のマークを外し、2人の背後に入り込んできた細谷が完璧なタイミングで宙を舞う。急降下してくるボールに頭をヒットさせ、敵味方を含めて誰もいなかったファーへ強烈な一撃を突き刺した。ストーン役の1人は、実は内野だった。しまったと振り返り、細谷のゴールを確認した内野は天を見上げている。
細谷が頭で決めたゴールは、昨年4月のルヴァンカップのグループステージ、アルビレックス新潟戦までさかのぼる。パリ五輪代表のエースストライカーも担う細谷は「ジャンプ力には自信があるので、これをもっと続けていかないといけない」と、ヘディングシュートに至るまでの相手との駆け引きが足りないと自省する。
同時に勝ち越しゴールを奪った後に、笑みすら浮かべなかった理由にも言及している。
「プロの立場で言えば勝って当たり前の試合だと思っていたので、あまり大喜びしないようにしました」
昨シーズンの天皇杯は決勝進出を果たしながら、川崎フロンターレとの決勝では延長戦を含めてゴールを奪えず、PK戦の末にタイトルを逃している。細谷は「PK戦はチーム全員が嫌だと思っているはずなので」と、延長戦で決着をつけての4回戦進出をポジティブに受け止めながら、こんな言葉もつけ加えている。
「昨年の天皇杯の借りを返すという意味でも、今年は絶対に優勝したいと思っているし、だからこそこんなところで負けてはいられない、と思っていた。勝ち切れましたけど、もっと圧倒しなきゃいけなかった」
両チームには、対戦相手と縁のある選手やスタッフが少なくなかった。たとえば柏の井原正巳監督は筑波大のOBであり、試合後の公式会見では「本当に勇敢に挑んでこられた」と筑波大を称賛している。
「本当に力のあるチームだと感じました。改めて後輩たちを称えたいと思う」
柏と筑波大の縁…細谷がアカデミー時代に築いた関係
小井土正亮監督から天皇杯の指揮を一任された筑波大の戸田伊吹ヘッドコーチ(4年)や、チーム最多の3本のシュートを放ったMF田村蒼生(4年)は柏レイソルU-18の出身。同じくアカデミー出身の細谷の一学年下にあたり、トップチーム昇格を目指して、ともに練習に明け暮れた記憶は今も鮮明に焼きついている。
柏と筑波大は2年前の2回戦でも対戦し、そのときは前者が1-0で勝利している。試合会場も同じ三協フロンテア柏スタジアム。ただ、大岩ジャパンが3位に入ったAFC・U-23アジアカップに招集され、開催国ウズベキスタンに滞在していた関係で、細谷は2年前の筑波大戦には出場していない。
「筑波大には(戸田)伊吹も(田村)蒼生もいて、U-18のときから仲が良かった。ちょっと複雑ですけど、こうして対戦できてすごく楽しかったし、勝てて良かった。筑波大はビルドアップを含めて足元の技術が上手かったし、J1のチームと違ってやりづらさはあったけど、個の勝負のところでは負けない自信がありました」
旧友との対戦をこんな言葉で振り返った細谷に対して、内野も特別な思いを抱いていた。4月から5月にかけて中東カタールで開催され、優勝とともにパリ五輪切符を勝ち取ったAFC・U-23アジアカップ。細谷を含めて4人が招集されたフォワード陣のなかに、当時19歳だった内野も最年少で名を連ねていた。
今年に入ってから柏と代表でゴールを奪えないままアジアカップに臨んだ細谷は、開催国でもあるU-23カタール代表との準々決勝の延長前半11分に勝ち越し弾を、U-23イラク代表との前半28分には先制弾をゲット。U-23ウズベキスタン代表との決勝進出を決めた時点で、日本は8大会連続12度目の五輪出場を決めた。
最後にエースの仕事を果たし、全6試合に出場した細谷に対して、内野もグループリーグ初戦から5試合続けて出場。カタール戦の延長後半7分には、リードを4-2に広げるダメ押し弾を決めた。しかし、先発はターンオーバーが実施されたU-23韓国代表とのグループリーグ最終戦だけで、決勝では出番が訪れなかった。
迎えた今月3日。パリ五輪に臨むU-23日本代表メンバー18人が発表された記者会見を、内野は日本サッカー協会(JFA)の公式YouTubeチャンネル「JFATV」で配信された動画越しにチェックしていた。
しかし、年齢の高い順に5人が招集されたフォワード陣に、20歳になった自身の名前はなかった。大岩剛監督が最後の一人として読みあげたのは細谷。内野は「やはり悔しかったですね」と落選を振り返る。
「先のアジアカップに呼ばれた時に、もっと目に見える結果がほしかったといまでは思っています。もっとインパクトを残せば、(パリ五輪の)メンバー入りもあったのかな、と」
もっともっと力をつけて、チームを勝たせる存在になりたい。悔しさを脳裏に刻み込み、前を向く力に変えた身長186センチ体重78キロのストライカーは、柏に喫した黒星をさらなる成長への糧に変えている。
「1人で何とかできるような選手にならなきゃいけない。今の筑波大のチーム状況的にも、自分がなんとかしなきゃいけない、という流れが多くなっていると感じるので、もっとそこにこだわっていきたい」
それでも、今大会で筑波大が残した足跡は色褪せない。たとえばJ1首位の町田に勝利した前述の2回戦。延長戦でも1-1のまま決着がつかず、もつれ込んだPK戦を4-2で制した歴史的なジャイアントキリングを達成したヒーローの一人は、後半アディショナルタイムに起死回生の同点ゴールを決めた内野だった。
天皇杯2回戦でJ1首位を倒した“ジャイキリ”は大きな話題を呼んだ
しかし、敗退を喫した直後の公式会見で、4人もの負傷者を出した町田の黒田剛監督が、筑波大のプレーの荒さやマナーを公然と非難したのを境に風向きが変わった。ネット上でさまざまな批判が飛び交いはじめ、町田の選手たちが骨折を含めた重傷だったと分かると、誹謗中傷は筑波大の選手たちにも向けられ始めた。
ここで小井土監督が動いた。指揮官が選手たちにかけた言葉を、内野が柏戦後に明かしている。
「監督からは『この問題は自分がなんとかするから、みんなは気にせずサッカーに集中してほしい』といった声掛けがありました。監督のいろいろな配慮があって、僕たちはプレーに専念できた。本当に感謝しています」
小井土監督が防波堤になる形で、多感な選手たちを守りながら迎えた柏戦で、筑波大には120分間で5枚のイエローカードが提示された。内野自身も延長前半6分に、DF野田裕喜へのラフプレーで警告を受けた。
「別に怪我をさせようと思って、プレーしているわけではありません。フェアプレーの範囲内でしっかりと球際(の攻防)にいく、というプレーを、僕を含めてチームのみんながやっていたと思っています」
柏に挑んだチームをこう振り返った内野の視線は、すでに次のステージへと向けられていた。
「パリ五輪の代表メンバーに入る、という思いでずっとやってきて結果的に悔しい思いをしたけど、パリに行けなかったから今の自分がいるとこの先に言えるように、この悔しい思いを生かしていきたい」
試合後には細谷がアジアカップからスパイクを変えている点に気がつき、パリ五輪へ向けて「試しているんですか」と内野の方から話しかけている。パリ五輪を終えた先に待つのは、年齢制限のないA代表での戦いだけ。アマチュアだろうが、大学生だろうが関係ない。チームを勝たせられるストライカーになった先に、細谷をはじめとする先輩たちに再び挑戦状を叩きつける自身の姿を、内野はすでに思い描いている。
(藤江直人 / Fujie Naoto)
藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。