“伝説助っ人”の一撃は「寝てる時も出てくる」 元日本代表主将がトラウマ告白「無音で覚えてる」

横浜マリノス時代のラモン・ディアス【写真:Getty Images】
横浜マリノス時代のラモン・ディアス【写真:Getty Images】

森岡隆三氏がラモン・ディアスとのマッチアップを回想

 日本代表でキャプテンを務めた経験もある元JリーガーのDF森岡隆三氏が、元日本代表MF前園真聖氏のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演。プロデビュー戦で受けた衝撃と、のちのトラウマについて明かしている。

 森岡氏は桐蔭学園高から1994年に鹿島アントラーズに入団。2年目の95年夏に清水エスパルスへ期限付き移籍となり、頭角を現して完全移籍に切り替わった。1999年にA代表デビューすると、2002年の日韓ワールドカップ(W杯)のメンバーにも選ばれ、A代表では計38試合に出場した。

 A代表でキャプテンを務めた経験も持ち、Jリーグ通算307試合に出場した森岡氏だが、プロデビュー戦は忘れがたいものになったという。

 1994年8月17日に三ツ沢総合公園球技場で行われたNICOSシリーズ第3節の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)戦、初先発初出場を飾った森岡氏だが、前年の1993年にJリーグ初代得点王に輝いた元アルゼンチン代表FWラモン・ディアスに前半7分に先制ゴールを許してしまう。

「ラモン・ディアスの左足は警戒って分かっているけど、きっちり切り返されて、止まろうと思ったら滑った。そのまま倒れている間にとんでもないシュートを撃たれて、サイドネットに吸い込まれた。あのシーンは寝てる時も出てくる。自分の中でスローモーションで、無音で覚えている」

 ルーキーイヤーはその1試合のみの出場で、その後出番はなし。「そのあとは全然試合に出れなくて。いろいろあった。自分が下手だなと思いながらやっていた」。そのように振り返りつつも、「あのシュートを経験したのは良かった。デビュー戦で調子に乗らずに良かったけど、迷惑をかけた」とポジティブに受け止めていた。

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