松木玖生が選外も…パリ五輪代表選考は「意外ではなかった」 決断に影響を与えた“起用法”【前園真聖コラム】
日本人選手が欧州クラブで貴重な戦力として見られるようになったがゆえの余波
大岩剛監督率いるU-23日本代表は7月3日、24日からスタートするパリ五輪に臨むメンバー18人を発表した。オーバーエイジ枠の選手は誰も選ばず、またここまで高い頻度で呼ばれてきた松木玖生も選外となった。このメンバー選考を元日本代表MF前園真聖氏はどう考えるのか。質問をすると意外な答えが返ってきた。(取材・構成=森雅史)
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パリ五輪に臨むメンバーが発表されました。最初の感想としては、「意外ではなかった」ということです。
まずオーバーエイジについて。誰か経験のある選手を入れて良かったのではないか、という考えの人もいるかもしれません。
ですが僕は、明らかにプラスになる選手でなければ入れる必要はないと思います。なぜなら五輪は短期決戦です。コンビネーションを作る時間はありません。さらに18人という枠を考えると、ここまで一緒にプレーしてきた選手を外してまで入れるのなら、目に見えてチームを変えてくれる選手でなければ、入れても意味がないと思うのです。
残念ながら、そういう選手はクラブが出場を認めてくれなかったのでしょう。前回の東京五輪なら母国開催ということで考慮してもらえたかもしれませんが、今回は貸し出す必要性を感じてもらえなかったということです。五輪がインターナショナルマッチカレンダーに組み込まれていない以上、諦めざるを得ません。
同じことはヨーロッパで活躍するパリ五輪世代の選手にも言えます。鈴木彩艶、久保建英、鈴木唯人らがいるチームは見たかった気がしますが、逆に言えば彼らがそれだけヨーロッパのクラブの中で貴重な戦力として見られているということです。その意味では日本が強くなってきたという証拠でもありますし、そこで生まれた難しさでもあります。
松木はボランチ起用で考えると「選びづらかったのではないか」
そして、僕も選ばれるだろうと思っていた松木玖生に関しては、大岩監督も迷ったところでしょう。移籍の可能性があるということは考慮しなければいけなかったと思います。一方で松木をどう使うかということも考えなければいけなかったはずです。
ここまで大岩監督は松木をアタッカーとして使おうとしてきました。同じポジションでライバルになっていたのは三戸舜介(スパルタ/オランダ)や斉藤光毅(ロンメル/ベルギー)です。松木と三戸・斉藤を比べると、三戸・斉藤には単独でもドリブルで仕掛けられることと、海外の経験値があるという強みがあります。
また、登録できる人数が18人ということで、三戸は左右両サイドでプレーできるということも有利に働いたのだと思います。アタッカーでは平河悠と藤尾翔太も両サイドでプレーできます。
この選手たちに比べると守備の能力は松木のほうが上です。そのため松木はボランチで使ったほうが特徴が生きるのでしょうが、ボランチにはゲームをコントロールできるキャプテンの藤田譲瑠チマ(シント=トロイデン/ベルギー)がいて、なかなか起用するのは難しいでしょう。
そうなると、スパルタやロンメル、シント=トロイデンが五輪出場を認める選手と、移籍の話が急にまとまるかもしれない選手ということで、松木は選びづらかったのではないでしょうか。
いずれにせよ、これで本大会に臨むメンバーは決まりました。あとはこのメンバーでしっかり戦えるように準備し、本大会では少しでも上の順位を狙ってほしいと思います。
<パリ五輪 U-23日本代表メンバー>
【GK】
1 小久保玲央ブライアン(ベンフィカ/ポルトガル)
12 野澤大志ブランドン(FC東京)
【DF】
2 半田 陸(ガンバ大阪)
3 西尾隆矢(セレッソ大阪)
4 関根大輝(柏レイソル)
5 木村誠二(サガン鳥栖)
15 高井幸大(川崎フロンターレ)
16 大畑歩夢(浦和レッズ)
【MF】
6 川崎颯太(京都サンガF.C.)
7 山本理仁(シント=トロイデン/ベルギー)
8 藤田譲瑠チマ(シント=トロイデン/ベルギー)
13 荒木遼太郎(FC東京)
14 三戸舜介(スパルタ/オランダ)
【FW】
9 藤尾翔太(FC町田ゼルビア)
10 斉藤光毅(ロンメル/ベルギー)
11 細谷真大(柏レイソル)
17 平河悠(FC町田ゼルビア)
18 佐藤恵允(ブレーメン/ドイツ)
【バックアップメンバー】
・GK
22 佐々木雅士(柏レイソル)
・DF
21 DF鈴木海音(ジュビロ磐田)
・MF
19 佐野航大(NECナイメヘン/オランダ)
20 山田楓喜(東京ヴェルディ)
(前園真聖 / Maezono Masakiyo)
前園真聖
まえぞの・まさきよ/1973年生まれ、鹿児島県出身。92年に鹿児島実業高校からJリーグ・横浜フリューゲルスに入団。96年のアトランタ五輪では、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」などをチームのキャプテンとして演出した。その後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)、湘南ベルマーレの国内クラブに加え、ブラジルのサントスFCとゴイアスEC、韓国の安養LGチータースと仁川ユナイテッドの海外クラブでもプレーし、2005年5月19日に現役引退を表明。セカンドキャリアでは解説者としてメディアなどで活動しながら、「ZONOサッカースクール」を主催し、普及活動を行う。09年にはラモス瑠偉監督率いるビーチサッカー日本代表に招集されて現役復帰。同年11月に開催されたUAEドバイでのワールドカップ(W杯)において、チームのベスト8に貢献した。