挫折からパリ五輪のシンデレラボーイへ 久保&松木が選外…“託された”トップ下での挑戦権【コラム】
鹿島で苦しみ今季からFC東京へ移籍した荒木遼太郎
「僕はタイシ(野澤大志ブランドン)と一緒に小学校訪問へ行っていたので、そこで(大岩剛監督の)メンバー発表会見を見ました。18人なので『正直、運もあるのかな』と思いましたけど、選ばれたからにはしっかり責任を持って戦っていきたいです」
7月3日のパリ五輪メンバー18人決定を受け、首都圏Jリーグクラブ選出選手の合同会見に臨んだ荒木遼太郎(FC東京)は、自身初の世界舞台への挑戦権を得た喜びと安堵感を改めて滲ませた。
ロアッソ熊本ジュニアユースに在籍していたU-15年代の頃からコンスタントに年代別代表経験してきた荒木。だが、2019年U-17ワールドカップ(W杯)ブラジル大会を怪我で棒に振り、2021年のU-20W杯(インドネシア)も新型コロナ感染拡大で中止の憂き目に遭っている。
とりわけ後者は、2020年の鹿島アントラーズ入団1年目にJ1・26試合出場2ゴールという結果を残したことで、彼への期待値は非常に高く、チームのエース級アタッカーと位置付けられるはずだった。それだけに本人も悔しさはひとしおだったはず。その時点では「必ず2024年パリ五輪には出たい」と強い野心を抱いていたに違いない。
2021年までのキャリアは順調だった。同年の荒木はJ1・36試合出場10ゴールと10代選手ながら破格の存在感を示し、Jリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞。2022年1月の森保ジャパンの国内組代表合宿に鈴木唯人(ブレンビー)、西尾隆矢(セレッソ大阪)らとともに招集されるほどの大躍進を遂げた。
「このまま行けば、荒木のA代表入りも近い」と見る向きもあったが、鹿島の指揮官がレネ・ヴァイラー(セルベット)、岩政大樹(ハノイFC)と代わり、トップ下を置かない4-4-2の基本布陣をとるようになると、主戦場を失った荒木の出番が激減していく。2022、2023年はスーパーサブとしての位置付けがほとんどで、大岩監督率いるパリ五輪代表からも長く遠ざかることになった。
「1年前の自分は本当に自分のことに精一杯だった。試合に出てなかったので、試合に出るために目の前のことに必死で、五輪とかパリ世代の代表のことは全く考えていなかった」と述懐する。その時点では鹿島同期の松村優太がコンスタントに招集されていて、2人の間には大きな差が生まれたていた。
加えて言うと、もう1人のフィールドプレーヤーの同期・染野唯月もレンタル先の東京ヴェルディでJ1昇格請負人として活躍。かつての名門クラブの最高峰リーグ復帰の立役者になっていた。そんな彼らの姿を目の当たりにしたら、危機感を覚えないはずがない。
「自分はトップ下のあるサッカーをやっているチームの方が輝ける」と今季を迎える前にFC東京へのレンタル移籍を決断。自身を高く評価してくれるピーター・クラモフスキー監督の下で開幕から異彩を放ち、序盤6戦で5ゴールをマーク。4~5月のAFC・U-23アジアカップ(カタール)参戦を果たすと、五輪切符の懸かった重要な準決勝イラク戦で2点目をマーク。大仕事をやってのけたのだ。そして決勝ウズベキスタン戦でも頭を強打し、朦朧としながら山田楓喜(東京V)の決勝点をアシスト。その勝負強さとフィニッシュに絡む鋭さは見る者の目を引いた。
その後も好調をキープ。「久保建英(レアル・ソシエダ)や鈴木唯人ら欧州組の招集が実現すれば、荒木のパリ五輪本番の選出は微妙」という見方をされたが、久保と鈴木唯人の五輪参戦が不可能となった。オーバーエイジ(OA)枠の候補と言われた堂安律(フライブルク)らも招集見送りが決まり、前線で変化をつけられる荒木の存在価値がグンと高まった。
そして、ここへきてFC東京の同僚・松木玖生も海外移籍優先で五輪回避が決定。トップ下やインサイドハーフ(IH)を担える人材が手薄になった。なれば、大岩監督にとっても荒木に託す部分が大きくなる。この1年間の目まぐるしい環境変化もあって、彼は一気にパリ五輪のキーマンに浮上したのである。
「選ばれなかった人たちがたくさんいる」
「環境を変えることというのは本当に1つ、大事なことだなと思いました。自分自身は鹿島にいた1、2年目を見てもらえたら分かるように、そんなにプレーが変わっているとは思っていない。でも東京に来て試合に出続けられたのが一番良かったと思います。玖生だけじゃなく、選ばれなかった人たちがたくさんいると思うので、そういう人たちに対する責任も背負って戦う必要がある。そこも自覚して挑みたいと思います」と荒木は鹿島同期の松村、染野、山田大樹、そしてFC東京で共闘してきた松木、バングーナガンデ佳史扶らさまざまな面々のことを脳裏にやきつけながら、パリ五輪に向かう覚悟だ。
OA枠が使えず、パリ世代の欧州組がほとんど呼べなかったとはいえ、日本の目標は56年ぶりのメダル獲得に変わりない。同じように最強布陣を揃えられなかったAFC・U-23アジアカップは何とか頂点に立てたものの、今回のパラグアイ、マリ、イスラエルというのはさらなる難敵に他ならない。
未知なる世界舞台に立てば、強心臓の荒木と言えども、感覚的な違いや戸惑いを感じることは少なくないだろう。それでも初戦のパラグアイ戦から一気にギアを上げ、日本を勝利へと導いていく必要がある。
「五輪のような大会は本当に初戦が大事。でも僕自身はどの試合も同じモチベーションで行くつもりです。アジアカップでも毎試合成長して、それが優勝につながった。五輪でも1試合1試合みんなが成長してチーム力を高めていけば、いい結果がついてくると思っています。
2戦目のマリにしても、3月の親善試合の時は外から見ていただけですけど、本当に身体能力の高いチームだった。だけど、その敵に対しても、自分たちは日本人らしくボールをつないで、相手の嫌なところを突いていくサッカーができれば勝てると思う。アメリカ遠征でも完成形に近いサッカーができましたし、最善を尽くしていけばいいと思っています」
自信をみなぎらせる荒木。そのギラギラ感は実に頼もしい。移籍によってビッグチャンスを掴んだシンデレラボーイの勢いとエネルギー、攻撃のアイデア、鋭いフィニッシュは今のチームにとって不可欠。それを世界相手に堂々と見せてくれれば、彼自身のキャリアもさらに大きく変わるはず。大化けする荒木の姿をぜひとも見せてほしいものである。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。