最下位に沈む札幌、ベテランGKの険しい表情が物語る不安 理想と現実の狭間で迷う選手の姿【コラム】
【カメラマンの目】東京Vと対戦し3-5で敗戦、J1最下位に沈むチームをファインダーから覗く
試合後、サポーターたちが待つスタンドへと向かう北海道コンサドーレ札幌の選手たちの表情は誰もが険しかった。6月2日のJ1リーグ第17節、低空飛行が続く札幌は状況打開のきっかけを求めて東京ヴェルディとのアウェー戦に臨んだが3-5で敗戦。3点を奪ったことよりも、機能しなかった守備による5失点の方が印象に残る、敗戦のなかに光明を見出すことのできない完敗の試合となった。
沈んだ表情の選手たちから、望遠レンズを装着したカメラをGKの菅野考憲に向ける。DF陣の奮闘がなく、最後の砦として防ぐのが難しい状況によるゴール献上に加え、PKを与えてしまう自らの失策もあった大量失点という結果は、札幌の選手のなかでも特に菅野には苦い90分間だったようだ。その一段と険しい表情がすべてを物語っていた。
対戦相手の研究が容易になった情報化社会のなかで存在する現代サッカーでは、多くの場合でピッチに立つ11人の総合的能力によって勝敗が決定する。戦術の遂行は勝利のための絶対条件となっている。相手のスタイルへの対策のために、選手たちに課される戦術的な動きは多岐に渡り、そのため現代ではサッカーチームの成熟により時間を要することになる。
そして、言うまでもなく勝利のためにどう戦うかを示すのが指揮官だ。札幌を率いるミハイロ・ペトロヴィッチ監督は就任から7年の歳月を数える。選手同様に指揮官も入れ替わりが頻繁に行われるサッカーでは、長期と言える政権を敷いている。
東京Vとの試合での札幌の印象は、選手たちが監督の要望する戦術的な動きのみを行うことを考えてプレーしているように見えた。監督から指示されたことをピッチで実行することは選手の正しい姿勢だが、実際はそのプレーができておらず、さらに指揮官の示すスタイルが勝利に対して実効性が低いものになっている。それでは勝利するのは難しい。
与えられた動きを的確にこなす、知的動作の繰り返しである現代サッカーでも、対戦するチームのレベルやスタイルはさまざまであり、時に戦い方を変化させる必要がある。指揮官が長年にわたってひたすら同じやり方を追求するだけでは、相手に戦い方を覚えられてしまうことにもなる。
チームの先導者が理想を持ち、自らのサッカー哲学を頑なに貫こうとする姿勢は決して悪いことではないが、現実的に機能していないのであれば、その思いを追求したところで意味はない。チーム事情を踏まえて現実的な戦い方を選択し、それを選手たちに行わせることが指揮官の務めだ。
特出したスター選手がいなくても、戦い方を工夫することによって勝利を手にすることができるのがサッカーであり、そここそが指揮官の手腕の見せどころとなる。ただ、この対東京V戦の札幌の選手は、守備面において頭では分かっているのだろうが、実際には戦術的な動きはほとんど見せられず、グループとしてゴールを守る戦い方ができなかった。さらに、致命的だったのは、チームとして機能しないのなら、それを個人で補うことをしなかったことだ。
技術ではなく、フィジカルでの勝負も放棄してしまっていた。つまらない精神論ではなく、勝利への強い思いによる人を起動させるスイッチが、まったくと言っていいほど入っていなかった。
選手のモチベーションを上げるのも指揮官の仕事であり。その部分で言えばペトロヴィッチ監督は彼らを奮い立たせることはできていなかった。もっとも試合終盤にカメラのファインダーに捉えたペトロヴィッチ監督には、張り詰めていた緊張の糸が切れ、諦めが混じった穏やかさえ漂っていた。
この試合を見る限り、ペトロヴィッチ監督の続投によってチームが好転することは難しいように感じられた。現状維持はチームにとっても、指揮官にとっても正しい選択ではないように思うのだが……。
徳原隆元
とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。