クロップがリバプールに残した“レガシー” 「信じ切れる者」へ…本拠地ファンの心に満ちた希望【現地発コラム】
ついに迎えたクロップ体制の終焉
現地時間5月19日のアンフィールドで、イングランド1部リバプールのファンは歌い続けた。キックオフと同時に始まった、ユルゲン・クロップ讃歌の大合唱。地元所縁のビートルによるヒット曲「アイ・フィール・ファイン」の替え歌は、“I’m so glad that Jurgen is a Red”と始まる。
メインスタンド上階で観戦していた筆者の周りでも、隣の中年カップル、前列の青年3人組、後列の男性陣と、誰もかれもが「嬉しいじゃないか、ユルゲンが仲間だなんて」と歌い始めた。リバプールでの通算491試合目にして最後の采配を振るう指揮官に、最大級の敬意を示し、ともにホームで過ごす最後の90分間を最大限に楽しもうとするかのように。
彼らにとって、この日のプレミアリーグ第38節ウォルバーハンプトン戦(2-0)は、2015年10月に始まった一時代の最終戦を意味していた。試合前のスタジアム周辺には、普段の最終節とは違った空気。今季限りでのクロップ退任が発表された今年1月に始まった、“さよならツアー”の最終公演前とでも表現すれば良いだろうか?
当人は、観戦プログラムの監督コラムで「今日は1にも2にも試合当日」と述べていた。だが6万人のホーム観衆にすれば、ピッチ上の相手チームなど目に入らず、スタンドで相手サポーターが上げる声も耳には入らないような心境だったに違いない。
自軍にとっても、勝とうが負けようがリーグ3位は変わらなかった一戦。ファンは、試合後のお別れセレモニーをメインイベントと意識して会場入りしていたことだろう。目の前に座っていた女性などは、いつになくベンチで静観のクロップがテクニカルエリアに姿を見せれば、ピッチ上ではなくタッチラインの外に携帯ビデオの焦点を合わせていた。
待ち切れない気持ちになったのか、後半も残り2分となると、四方のスタントでホームサポーターが立ち上がって歌い出した。最低4分間のアディショナルタイムが告げられても、「嬉しいじゃないか、言ってた通りのことをやってくれるなんて」と続けた。エースのモハメド・サラーが1対1の絶好機を逃した場面では、一瞬、合唱が止まった。しかし、すぐさま「ユルゲンは言ってたよ。プレミアで優勝してみせるって。そう言ってたんだ」と再開。「彼にぞっこん。気分は最高さ」と歌い上げた。
ただし、94分間の試合も単なる“前座”などではなかった。試合後、センターサークル内に設けられたひな壇でマイクを握ったクロップが、7分間に及ぶスピーチを「非常に嬉しい」と始めるほど、納得できる「我々の姿」が確認されたのだ。
アカデミー、今季新戦力、主将…躍動したクロップ体制下の選手たち
勝負の行方は、ハーフタイムを待たずに決していた。敵は、前半28分に退場者を出してもいた。とはいえ、リバプールが見せたパフォーマンスは、クロップ体制下での“ヒットメドレー”を見るかのようでさえあった。
前半34分の先制点は、ハーヴェイ・エリオットのクロスから生まれている。21歳のMFによるアシストは、年明けから合計10度目。より多くのアシストを2024年に記録しているプレミア選手は、マンチェスター・シティのアシストマシン、ケビン・デ・ブライネしかいない。その6分後、セットプレーの流れから追加点を押し込んだのは、21歳のセンターバック(CB)のジャレル・クアンサー。クロップの下でチャンスを与えられた若手は計42名を数えた。
その代表格とも言うべきトレント・アレクサンダー=アーノルドは、「偽サイドバック(SB)」として上がった中盤から、1度ならず2度までもライン越しに絶妙な浮き玉を放り込んでチャンスを演出している。後半25分にはベンチに下がったが、代わりに投入されたコナー・ブラッドリーは、その11分後にエリオットと交代したカーティス・ジョーンズと同じくアカデミー産だ。
フロントとの足並みも揃ったクロップ時代には、的確な補強も成功の一因となった。最終シーズンも例外ではない。先制のヘディングを決めたアレクシス・マック・アリスターは、攻守にマン・オブ・ザ・マッチ級の出来。ファンの間で、チームの今季ベスト新戦力と評されるのも頷ける。
マック・アリスターを中盤の底から解放した遠藤航は、陰のベスト新戦力と言ったところだ。最終節でも、ルーズボールに真っ先に反応し続けてのフル出場。チームを相手コート内でプレーさせ続けるだけではなく、相手GKにセーブを強いた右足ミドルで、追加点を呼ぶコーナーキックも奪った。最終的には、リバプールらしい「賢い買い物」と認められている。
5点台のゴール期待値を記録したチームは、後半5分に3点差としているべきだった。至近距離からのシュートをバーに当ててしまったのは、左ウインガーのルイス・ディアス。フィニッシュの精度には改善の余地があるが、クロップ軍のトレードマークでもある攻撃的なプレッシングは、この試合でも見本的だった。
前へ前へと、ひたすら相手ゴールを目指し続けるクロップのリバプールは、後方で敵に自軍ゴールを割らせない決意をも漲らせる。最後尾のアリソン・ベッカーは、出番が少ない試合でも集中力を欠かさず、2度のセーブで守護神らしさを見せた。手前のフィルジル・ファン・ダイクは、キャプテンマークも付ける最終ラインの要。相手FWのマテウス・クーニャが決定機を得たかに思われた場面でも、信頼度抜群のCBがブロックで立ちはだかった。
サポーターを「信じ切れる者」へ変えたクロップ
指揮官のスピーチを拝借すれば、この最終戦でも「目撃」されたという「タレント、若さ、創造性、そして貪欲なまでの勝利意欲に満ちた」リバプールは、クロップの下で主要タイトル計6冠に輝いた。クラブ史上6度目のCL優勝(2019年)と、30年ぶりのリーグ優勝(2020年)も達成された。国内外での優勝を通じ、8年半前の時点ではチームを信じ切れなくなっていたサポーターたちは、就任当初にクロップが望んだ「信じ切れる者」へと変わっていった。
そして今後は、監督の座を退いたクロップが、その1人としてリバプールの「12人目」に加わる。「I’m one of you now(もう自分はみなさんと同じ)」と、壇上の“前監督”。この発言は、プレミアで再現はあり得ないと思われる長期政権を敷いたマンチェスター・ユナイテッドでのサー・アレックス・ファーガソンとアーセナルでのアーセン・ベンゲルよりも、シティをプレミア史上最高最強のチームに仕立て上げたジョゼップ・グアルディオラよりも、クロップに似合う。
互いの心の底から滲み出るような、この一体感。それは監督本人だけではなく、チーム、さらにはクラブをとことん信じることのできる力だ。この力こそ、クロップがリバプールで残した最大の功績だと言ってもよい。その指揮官を、生涯の同志として得たアンフィールドのホーム観衆は、勇気100倍で新時代を迎えられる気持ちになったに違いない。
まずはチームありきのクロップは、「初日から全力で頼む」と新体制への全面支援をファンに訴えた。「アルネ・スロット! ナナナナナ!」と、自らの名前を後任の名前に変えたチャントを歌えば、6万人が後に続く。お別れセレモニーの締めは、最後のフィスト・パンプ。全スタンドの前で拳を突き上げた指揮官に、観衆は「気分は最高さ」と歌って応えた。
一時代の終焉を迎えたアンフィールドは、過去8年半への郷愁ではなく、未来への希望に満ちていた。クロップは去った。しかし、クロップのレガシーは続く。
(山中 忍 / Shinobu Yamanaka)
山中 忍
やまなか・しのぶ/1966年生まれ。青山学院大学卒。94年に渡欧し、駐在員からフリーライターとなる。第二の故郷である西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会およびフットボールライター協会会員。著書に『川口能活 証』(文藝春秋)、『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリーライオンズ』、『バルサ・コンプレックス』(ソル・メディア)などがある。