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日本のサッカー選手が「酒を飲んだり、パチンコを」 来日後の衝撃…ブラジル英雄が回想
元ブラジル代表ジーコ氏、住友金属時代の秘話明かす
Jリーグが開幕する2年前の1991年に来日し、住友金属工業蹴球団(現鹿島アントラーズ)に加入した元ブラジル代表MFジーコ氏。ブラジル代表の10番を長く背負い、母国ブラジルでも「白いペレ」と評されたフラメンゴの英雄は、Jリーグ創成期の鹿島にプロフェッショナルとは何かを植え付けた。5月12日の鹿島対東京ヴェルディの試合を前に、当時の秘話をトークショーで明かした。
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ジーコ氏が来日した当時、住友金属はまだ完全なプロサッカーチームではなく、社員選手がいる状態だった。プロになることを選ぶか、社員として仕事を続けるかを、自分たちで選択した。
当然、今のサッカー選手たちのようなプロ意識はなかった。「選手は仕事とサッカーを両立している者も多く、午後3時、4時くらいまで仕事をしていた。サッカーに集中できていない選手もいて、酒を飲んだり、パチンコをしたりという選手も多くいた」と、ジーコ氏は振り返った。
今であれば負傷をして手術を受けた選手が、リハビリ期間中もトレーニングを続け、より強くなって帰ってくることも珍しくない。だが、当時はそんな状況とは正反対だったという。
「ある若い選手が怪我をして、手術をして帰ってきたんです。本人は気づいていなかったのですが、明らかに太っていました。そこで『自分の身体を見ろ』と言ったんです。でも、本人は自分の身体を見ても、どれだけ体重が増えたかを分かっていなかったので、体重計に乗せました。そうしたら負傷する前より、5キロも増えていたんです」
プロ意識を欠いた若手を見て、ジーコ氏は改善に努めようと動いた。戦列を離れていた間、自らの身体にどのような変化が起きたのか、身を持って実感させることでプロ選手としてのあるべき姿を説いた。
「練習場に出て、5キロのメディシンボールを持たせて『ここからあそこまで走ってこい』と走らせました。次にメディシンボールなしで、同じ距離を走らせて、『どっちが走りやすい?』と聞いたら、『ボールがないほうが走りやすいです』と答えたので、『そうだろ? おまえは気づいていないかもしれないが、その5キロが今、身体の中にあるんだ。体重をいかにコントロールするかが大事か分かっただろう』と説明し、納得させました。些細なことかもしれませんが、プロのサッカー選手として戦う姿勢を伝えてきたんです」
Jリーグのなかでも有数の名門である鹿島は、創成期に多くのことをジーコ氏らから学んだことで、大きな発展を遂げたと言えそうだ。
(河合 拓 / Taku Kawai)