欧州組&OA招集でも…大岩ジャパン“最強化”は「未知数」 パリ五輪へ浮かぶ3つの課題【コラム】

U-23アジアカップを制した日本代表【写真:2024 Asian Football Confederation (AFC)】
U-23アジアカップを制した日本代表【写真:2024 Asian Football Confederation (AFC)】

U-23アジアカップ制覇、アジア王者としてパリ五輪へ

 U-23アジアカップは最高の形で締め括られた。

 大岩剛監督率いるU-23日本代表は、グループリーグで韓国に敗れたが、長時間、数的不利な戦いを強いられた中国戦と難敵と見られたUAE戦に勝利。グループ2位で突破すると、準々決勝では延長戦までもつれた激闘の末に開催国カタールを打ち破った。

 準決勝ではフィジカルに秀でたイラクに快勝してパリ五輪の出場権を獲得。決勝戦では2年前のU-23アジア杯準決勝で敗れたウズベキスタンを相手にリベンジを果たし、見事にアジア王者に輝いて見せた。

 アジアを制した日本にとって、次なる戦いはパリ五輪となる。1968年のメキシコ大会以来のメダル獲得を目指すことを考えれば、チームとしてさらなる成長が必要なのは確か。これから18人の枠を争うサバイバルが始まるなか、競争だけでなく、チーム全体の課題も改善していくことで、見据える目標に近づいていきたい。

 明確な課題の1つとしては、アジア杯の決勝戦で浮き彫りになった標榜する戦い方ができなくなった時の“修正力”が挙げられる。今大会は、決勝のウズベキスタン戦まで基本的に日本がボールを保持する展開が多く、主導権を握ることでチャンスを多く作り出していた。

 だが、ウズベキスタンとの決勝では相手の前線からのプレスに苦戦。これまでのチームとは明らかに寄せの速さが違ったことからミスが増発し、相手に押し込まれる時間が長くなってしまった。後半になり相手の足が止まったことで日本のペースに持ち込むことができたが、ここはもっと早く修正できるように改善していきたい。パリ五輪ではより強い相手と戦う可能性が高く、ボールを持てない時のバリエーションも増やしていく必要があるだろう。

「相手(の戦い方)が予想していることと違った時に、自分たちがどう解決できるかというのもピッチ内で求められてくる。パリまで少し時間がありますし、合宿などもあると思うので、そういったところは浸透するように伝えていければと思う」とは松木玖生の言葉。ピッチ内での修正力は、今後の鍵となってきそうだ。

 また、これはどのチームにも言えるが、永遠の課題である“決定力”を上げていく必要がある。決勝戦こそ数少ないチャンスを結果に結実することができたが、それ以外の試合ではチャンスを作りながらも仕留め切れない場面が多く、相手をなかなか突き放すことができない時間があった。

 チャンスは多く作れているが、ゴール前での精度やコンビネーションに課題があるのは確か。パリ五輪ではアジアでの戦いのようにゲームを支配できない可能性もあり、より攻撃できる回数が減ってしまうかもしれない。そうした時に決め切れないと苦戦に追い込んでしまうことから、さらなる決定力のアップが鍵となってくる。

 チームのエースストライカーとして期待される細谷真大に得点が生まれ始めたことはプラス材料。今回の勢いをリーグ戦へとつなげ、パリ五輪までに量産態勢となることを期待したい。

五輪開幕まで限られた準備期間、いかに最強チームを作るかがポイントに

 そして、もう1つ気になる課題として挙げたいのは、新たな選手たちとの融合だ。今大会に出場しなかった欧州組やすでにA代表に名を連ねている選手、24歳以上のオーバーエイジ(OA)といった選手たちが加わることを考えると、今大会で活躍した選手たちがどれだけ本大会に残れるかは分からない。そのため、チームとして築き上げてきたベースはあるものの、大きくメンバーが変わった時にどこまでやり方が浸透するかは未知数だ。そこの融合がうまくできるかは1つのポイントになるだろう。

 本来、1月に行うはずだったアジア杯が4月にずれ込んだため、パリ五輪までに残された時間も少なく、これまでのオリンピックと比べて調整期間が短いのも明らか。次の遠征からOAの選手たちを呼ぶ話も出ているが、限られた時間の中でどういったチーム作りをしていくかは大岩監督の腕の見せどころとなりそうだ。

 パリ五輪でメダルを獲ることは簡単ではない。それでも、アジアでの難しい戦いを乗り越えたチームに対する期待値は上がっている。7月の五輪開幕まであまり時間はないが、選手選考から戦術の改善まで、あらゆるところにこだわりながら最強のチームを作っていきたい。

(林 遼平 / Ryohei Hayashi)

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林 遼平

はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。

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