インドネシアは「まるで韓国のようだった」 U-23アジア杯4強に見るアジア勢力図の変化【コラム】
U-23アジア杯の4強は日本、イラク、ウズベキスタン、インドネシア
U-23アジアカップのベスト4が出揃った。パリ五輪出場を懸けて争うのは、日本、イラク、ウズベキスタン、インドネシアの4か国。それぞれFIFAランク(2024年4月)は日本が18位、イラクが58位、ウズベキスタンが64位、インドネシアが134位だ。
アジアのトップ10のうち、大会に出場しているオーストラリア(24位/アジア4位)とヨルダン(71位/アジア10位)、UAE(67位/アジア9位)はグループリーグで敗退し、サウジアラビア(53位/アジア6位)は準々決勝で敗れている。その代わりに勝ち残ったのがインドネシア、ウズベキスタンなのだ。
U-23の世代ではFIFAランクに表される勢力図が変化しているのだろうか。英サッカー専門誌「Four Four Two」韓国語版の編集長を務めたこともあるホン・ジェミン記者はこう分析した。
「U-23韓国代表の調子が悪かったことと、ほかの国が強くなったことの両方の要因があると思います。韓国の実力は十分ではありませんでしたし、アジアでは多くのこれまで弱小とされていたチームが急成長しています」
ホン・ジェミン記者は、まず韓国で起きている問題を指摘した。
「韓国の監督には大きな問題があります。それは、戦術的、技術的なコーチングの部分が欠けていることです。監督になる時には、コーチングよりも現役時代のスター選手としてのネームバリューのほうが重要視されていて、それが地位を手に入れる最も有効で唯一の手段なのです。選手とコーチはまったく別の仕事だということは、現役時代にあまり上手いとは言えない選手だった一流コーチがたくさんいるのを見れば分かります。かつてのネームバリューが監督としての成功の道を保証するわけではないのですが、韓国では今でもそういうことがあるのです」
ホン・ジェミン記者が指摘する韓国の監督問題
U-23韓国代表の監督は、かつてセレッソ大阪や柏レイソルでも活躍したファン・ソンホン。1990年のイタリア・ワールドカップ(W杯)から2002年日韓W杯までメンバー入りしており、1994年アメリカW杯ではドイツ戦でゴールも決めている。
監督としては釜山アイパーク、浦項スティーラース、FCソウル、大田ハナシチズンという韓国内のクラブを歴任し、延辺富徳(現在は解散)の最後の監督も務めた。
だが、こういう人事に問題があるとホン・ジェミン記者は言う。
「一度ビッグスターになれば、2002年W杯の選手たちのように無限のチャンスが与えられています。2002年W杯の英雄たちは、今もこうやって多くのチャンスを享受しています。ところが残念なことに、彼らのほとんどは偉大な監督になるには実力も努力も足りないのです。ファン・ソンホンは2002年の英雄の地位を享受してきたのですが、今は悲しい結末を迎えています」
一方で台頭してきている国についてはどう考えているのか。今回のインドネシア戦での敗退は韓国の油断が生んだものではなく、正面からぶつかり合った結果だ。韓国は退場で1人少なかったとはいえ、11人同士で戦っていた時も圧倒していたとは言えない。
「韓国が良くなかったにしても、インドネシアが見せたパフォーマンスはとても良かったと思います。彼らは最後まで走って、走って、走って、懸命に戦っていました。まるで韓国の選手たちのようでした。韓国人のシン・テヨン監督はインドネシアで素晴らしい仕事をしたと思います。彼はインドネシアの選手の気まぐれで古いプレースタイルを競争力のあるものに変えました」
そしてインドネシアの活躍から、多くの国のモチベーションを感じていると分析している。
「アジアサッカー連盟(AFC)は2026年北中米W杯から出場枠を8.5か国手にすることになりました。一流チームは『いつもW杯に出場しているのだから何も変わらない』と思うかもしれません。ですが、W杯のチケットが増えるということは、これまでW杯に縁がなかった多くのチームにとって夢が現実になる大きな可能性が出てきたということなのです。彼らにとっては大きなモチベーションになるでしょう。上位チームはW杯アジア3次予選でより苦戦を強いられることになるだろうと思います」
W杯アジア2次予選で現在2位以内に入っているチームの中には、インド、ウズベキスタン、バーレーン、オマーン、シリア、ヨルダン、パレスチナなどがいる。日本がこのW杯出場経験がないチーム(インドネシアはオランダ領東インド時代の1938年フランスワールドカップに出場)とアジア3次予選で戦うことになっても、決して気が抜けないということになりそうだ。
(森雅史 / Masafumi Mori)
森 雅史
もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。