東福岡卒プロ3年目でキャリア暗転 Jで出番減の挫折も…五輪へ“復活劇”遂げた万能戦士
今季新加入のFC東京で躍動、U-23日本代表・荒木遼太郎の歩み
百折不撓(ひゃくせつふとう)からの猪突猛進。挫折を乗り越え、その勢いとともに迷わず前に突き進む。今の荒木遼太郎を見ていると、まさにこの言葉がしっくりとくる。
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全国屈指の強豪である東福岡高校時代は1年時から出番を掴み、U-16日本代表の主軸としてU-16アジア選手権での優勝に貢献した。だが、U-17ワールドカップ(W杯)には怪我の影響でメンバーに選出されず、世界と戦う機会を逃した。
高校卒業後には名門・鹿島アントラーズに入団。1年目からJ1リーグ26試合に出場をし、華々しいルーキーイヤーを飾り、2年目の2021年にはエースナンバーの13番を背負って10ゴールをマークしてベストヤングプレーヤー賞を獲得した。だが、この年に開催予定だったU-20W杯は新型コロナウィルス感染症拡大の影響を受けて中止となってしまった。
翌2022年にはプロ3年目にしてチームの中心を意味する10番を託されるまでになったが、このシーズンから出場機会は激減。パリ五輪を目指す大岩ジャパンにもU-21日本代表としてドバイカップに出場して以来、招集されなくなった。
順風満帆に行っていると思っても、壁にぶち当たる。特に日本代表に関しては思うようにいかない悔しく、歯痒い思いを何度も味わってきた。だが、それでも荒木はその壁を打ち破ってきた。今回も彼にとってはいつもと変わらないチャレンジだった。
今季、FC東京に期限付き移籍をすると、ピーター・クラモフスキー監督のサッカーにドンピシャでハマった。170センチと大柄ではないが、ボランチ、トップ下、インサイドハーフ、両ワイドに加え、センターフォワードもこなすユーティリティー性を生かして、開幕から3試合は4-2-1-3のトップ下に入り、FWディエゴ・オリベイラを起点にセカンドストライカーとして躍動。開幕戦で2ゴールをマークすると、第2節のサンフレッチェ広島でも連続ゴールをマークした。
第4節のアビスパ福岡戦からセンターフォワードで起用されると、これまでボランチだったMF松木玖生がトップ下に入ったことで、同年代による縦関係のダブルストライカーという形を構築。松木とポジションチェンジを繰り返しながら、相手のギャップに入り込んでドリブルとパスでディフェンスラインを破壊していくプレーで、J1をたちまち席巻して行った。
これまで6試合スタメン(鹿島戦は規約により出場せず)で5ゴール。FC東京の攻撃を牽引する荒木がU-23日本代表に再選出されることはもはや必然だった。
「代表はいつも熾烈な戦いになるからこそ、いろんなポジションをできる強みやフィニッシュ、ボールを奪って結果につなげるなど、もっと自分の長所を磨いていきたいし、アピールをしていきたい」
ハイクオリティーなスーパーユーティリティー。荒木にはこの唯一無二の武器がある。どんなに壁にぶち当たっても、この武器があるからこそ、彼は何度でも這い上がり、そして日本にとって貴重な存在となっていくだろう。
(FOOTBALL ZONE編集部)