遠藤航に独サポーターが今なお抱く愛情 主将への懐疑論も…評価を劇的に変えた“伝説”の一戦【現地発コラム】

遠藤航はドイツを去った後も現地ファンに深く刻み込まれている【写真:Getty Images】
遠藤航はドイツを去った後も現地ファンに深く刻み込まれている【写真:Getty Images】

わずかなチャンスでのし上がったシュツットガルト主力の座

 ドイツからイングランドへ。当時30歳の年齢でステップアップした日本代表の頼れるキャプテン遠藤航。「FOOTBALL ZONE」では、「遠藤航の解体新書」と称した特集を展開。名門リバプールで活躍する日本人への愛は、ドイツを去った後も現地ファンに深く刻み込まれている。(文=島崎英純)

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 2023年8月19日、2023-2024シーズンのドイツ・ブンデスリーガ開幕戦。ホーム・MHPアレーナでのボーフム戦を前に、シュツットガルトサポーターが手書きの横断幕を掲示した。そこにはドイツ語でこう記されていた。

「4 JAHRE KANMPF UND EINSATZ FUR UNSERE FARBEN! DOMO ARIGATO WATARU! (4年間、僕らのために全力を尽くして戦ってくれて、ドモ、アリガト、ワタル!)」

 遠藤はこの試合の前日にリバプール(イングランド)への完全移籍が決まり、すでにチームを離れ、同日に行われたプレミアリーグ第2節のボーンマス戦で途中出場を果たしていた。本来ならば、シーズン開幕直前に移籍を決断する選手にはサポーターから辛辣な言葉を浴びせられるのが常だ。しかしシュツットガルトサポーターは、わずかな在籍期間にもかかわらずクラブとファンに数々の思い出と成果を残してくれた彼を快く送り出した。チームを率いるセバスティアン・ヘーネス監督も、遠藤の意思を尊重し試合前にこんなコメントを残している。

「彼は今、30歳という年齢ながらプレミアリーグのリバプールに加入するチャンスを手にした。これは彼の夢だったんだ」

 一選手の夢に最大限の敬意を払ったシュツットガルトサポーターは万感と断腸の思いを抱きながら、頼もしきキャプテンの前途を祝したのだった。

 2019年8月にシント=トロイデン(ベルギー)からシュツットガルトへレンタル移籍した当時の遠藤は無名の存在だった。双方のクラブ主導で交渉が進み移籍が実現した経緯もあって、現場からはなかなか信頼を得られず。加入後は公式戦9試合連続不出場(そのうち3試合でベンチ外)が続いた。

 当時、遠藤と会った筆者はしかし、達観した佇まいで冷静に現状を見据えていた彼の姿を覚えている。

「まあ、焦っても仕方がないから。今は練習で自分の力を証明していくだけ。もし駄目なら、またベルギーで頑張ればいい。結局は自分の力を求めてくれるところで戦うしかないですからね」

 その後、遠藤はブンデスリーガ2部第14節のカールスルーエ戦で先発出場を果たす。レギュラー選手の出場停止を受けて急遽チャンスを得たこの試合でマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍を披露し一気に評価を高めると、出場停止による1試合の欠場以外は残りの公式戦に全試合フル出場して純然たる主力へのし上がった。

キャプテンとして相応しいかといった、SNSで行われた議論

 翌シーズンに晴れてシュツットガルトへ完全移籍した遠藤は、チームの中軸としてフル回転し、所属3シーズン目からは正式にチームキャプテンにも就任する。

 遠藤は言動で仲間を鼓舞する「闘将」タイプではないことを自他ともに認めている。練習中は黙々とトレーニングに励み、公式戦のピッチでもそれほど感情を露わにしない。シュツットガルトでチームメイトだった原口元気は、普段の彼の態度をこう評している。

「チームメイトに対しては何も言わない。指示もしないし、小言も言わない。励ましたりもしないし、激も飛ばさない。航は本当に、何も言わないんだよね」

 それではなぜ、彼は在籍した多くのチームでリーダー的立場に推されてきたのだろう。ちなみに、ヘーネス監督は遠藤にキャプテンマークを託した理由を簡潔にこう述べている。

「彼が模範を示す完全なるプロ選手だからだ。常にチームのことを考え、チームに何が必要か把握している」

 遠藤は一喜一憂しない。試合に勝っても負けても態度は常に同じだ。ある日のホームゲームで敗戦した後、メインスタンドにいた少年が「エンドウ、ユニホームをちょうだい!」と叫ぶと、彼は着ていたユニホームをおもむろに脱ぎ、柔和な表情を浮かべてそれを手渡していた。

 少年は感極まった様子でそれを受け取って愛おしそうに抱きしめていたが、一方でほかのファン・サポーターの一部は敗戦後に怒りや落胆をあまり見せない遠藤の所作に物足りなさを感じていたようだ。その証拠にシュツットガルトサポーターのSNS投稿では遠藤がキャプテンとして相応しいかといった議論が頻繁に行われ、その意見は遠藤自身の耳にも届いていた。

 日本人がブンデスリーガのクラブでチームキャプテンを務めることについては、特に違和感を抱かれてはいない。遠藤の主将就任までにアイントラハト・フランクフルトの長谷部誠やハンブルガーSVの酒井高徳(現・ヴィッセル神戸)がキャプテンを務めた例がある。多国籍化が進んでいる現代のブンデスリーガにあって、外国籍選手がチームリーダー的立場に就くのは日常茶飯事だ。

 ただし、ドイツ人は得てしてキャプテンに感情的な振る舞いを求める。意見や考えを公の場で主張することでコミュニケートを図るという意味において、彼らドイツ人から見た遠藤は感情が読み取りにくく、寡黙すぎたのである。

シュツットガルトの歴史に名を刻んだ瞬間

 そんな遠藤への印象は、2022年5月14日を境に劇的に変わる。2021-2022シーズンのブンデスリーガ最終節(FCケルン戦)で勝利しなければ2部3位との入れ替え戦を強いられることになっていた正念場で、彼はクラブの危機を救う大仕事を成し遂げたのだ。

 現地で取材していた筆者は、試合後のミックスゾーン対応のためにMHPアレーナのピッチ脇に立ち、試合終了間際にシュツットガルトが獲得したコーナーキックを遠巻きに眺めていた。チャンスの場面で誰かが頭で競ってボールを後方へ流すと、ファーサイドにほかの味方が飛び込んだ。その瞬間に爆発するような大歓声が巻き起こり、会場は騒然とした雰囲気に包まれた。

 ゴールシーンを確認しようとスタジアムに設置された大型ビジョンに目をやると、そこには伊藤洋輝が競ったヘディングに反応した遠藤がダイビングヘッドで決勝点をマークして咆哮を上げる姿が。遠藤が熱狂するサイドスタンドのサポーターたちに向けてキャプテンマークを掲げるとボルテージはマックスに達した。寡黙だったキャプテンがその存在を誇示した瞬間。遠藤は「レゲンドウ(エンドウとドイツ語のレジェンドを合わせた造語)」としてクラブの歴史に名を刻んだのだった。

 試合後のミックスゾーンは騒然としていた。複数のテレビメディアが遠藤のフラッシュインタビューを要請し、クラブ広報はその調整に奔走していた。そんななか、ヒーローであるはずの遠藤は泰然とした態度でミックスゾーンに現れたかと思えば、流暢な英語で各種インタビューに対応していく。最後に筆者の番になると、彼は恥ずかしそうにはにかみながら目の前に立ち、こう言った。

「いやー、もう疲れたよ。今日のヒーローインタビュー、本当に俺でいいの?(笑)」

 遠藤が大一番で決定的な仕事をやってのけられるのは、感情の揺れ動きがいい意味でないからだ。どんな局面や事態に遭遇しても、冷静に最適解を求める作業を進めている。チームを俯瞰して観察し、そのなかで自身の役割を認識して職務を果たす。一見すると冷淡に見えるその態度の裏で、彼はプロサッカー選手としての責任を愚直に全うしている。それは湘南ベルマーレでも浦和レッズでも、シント=トロイデンでもシュツットガルトでも、そしてリバプールでも変わらない。遠藤航という人物の傑出した個性でもある。

 先日、シュツットガルトの試合取材後のことだった。中央駅近くの公園内にあるビアガーデンで仕事後の一杯にありついていると、ユニホーム姿のおじさんから声を掛けられた。

「エンドウはもう、ここにはいないよ」

「知ってますよ」と返すと、そのおじさんは胸を張ってこう言った。

「それにしたって、今さら何を驚いているのかねぇ。エンドウがリバプールで活躍してるって? そんなの当然じゃないか。だって彼は、VFB(シュツットガルトの愛称)のキャプテンだった選手だよ。彼が凄いヤツだってことは、100年も前に知ってたさ」

 少なくともシュツットガルトのファン・サポーターは遠藤航の真の実力を知っている。それは我々日本人にとって、とても誇らしいものだとも思う。

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島崎英純

1970年生まれ。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動を開始。著書に『浦和再生』(講談社)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信しており、浦和レッズ関連の情報や動画、選手コラムなどを日々更新している。2018年3月より、ドイツに拠点を移してヨーロッパ・サッカーシーンの取材を中心に活動。

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