神様ジーコの前で…元日本代表が号泣 屈辱PK失敗「忘れてはいけない」と悔やんだ“偉大な男”【コラム】

かつて鹿島で活躍した小笠原満男【写真:産経新聞社】
かつて鹿島で活躍した小笠原満男【写真:産経新聞社】

ベンチコートのフードを目深にかぶり…涙であふれた鹿島の20歳MF

 人目もはばからず、号泣する20歳のMF小笠原満男が、そこにいた。ベンチコートのフードを目深にかぶり、終始、うつむいていたが、あふれる涙は隠せなかった。

 試合後、報道陣の前に現れた小笠原は、こういって唇を噛んでいた。

「切り替えるのはすごく難しいけれど、いつまでも引きずっているわけにもいかないです。この悔しさを選手として成長するための大きなきっかけにできれば、と思います」

 1999年11月3日、東京・国立競技場で行われたナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)の決勝は、2年ぶり2度目の大会制覇を目論む鹿島アントラーズと初タイトルを目指す柏レイソルの顔合わせだった。

 開始早々の5分、先制された鹿島は後半17分、同19分と立て続けにゴールを奪い、逆転に成功。ところが、試合終了間際によもやの同点弾を食らい、振り出しに戻された。

 追いつ追われつの大一番は延長に突入し、さらにPK戦へともつれていく。5人ずつが蹴り終えた時点で4-4と決着せず、勝負のゆくえは“サドンデス”に委ねられた。

 明暗を分けたのは6人目のPKキッカーだ。

 後半すぐに交代出場していた小笠原は、先に蹴る鹿島6人目のPKキッカーとして相手GKと対峙。プロ2年目とはいえ、肝の据わった俊英である。何食わぬ顔で、きっちり決めきるのではないか、と思っていた。

だが、右足インサイドキックで、ゴール右に蹴られたボールは相手GKの見事なセービングに弾かれてしまう。かたや、柏6人目のPKキッカーが確実に叩き込み、長い激闘に終止符が打たれた。

 シーズン途中の監督交代に伴い、暫定的に指揮を執っていたジーコテクニカルディレクター(当時)は、泣きじゃくる小笠原の心痛を思いやった。

「PKを止められてしまい、非常に責任を感じていたが、気にしないようにと伝えた。小笠原は攻撃面でも守備面でも質の高いプレーができる選手です。彼の優れた技術やポジショニングの良さがチームにいいリズムをもたらしてくれました。(後半42分に警告2枚で)ビスマルクが退場し、1人少なくなった状況のなかでも、よく耐えながら戦い続け、チャンスを作ってくれました」

引退会見のなかで語られた“あの日の失敗”「一番印象に残っている」

 ジーコテクニカルディレクター自身もかつてワールドカップという大舞台でPKを外し、試合に負けた経験がある。それだけに小笠原の居たたまれない気持ちを誰よりも理解していたのであろう。

 しかしながら、PKを止められたという事実が小笠原の胸を締めつけて離れない。

「ジーコから(PKを)蹴らせてもらうチャンスをもらったのに、その期待に応えられなかった。今日のことを忘れてはいけないし、忘れるわけにはいかないです」

 泣き腫らした目で、悔しさを滲ませながらも、負けん気の強さを覗かせる若き日の小笠原が、そこにいた。

あれから19年——。その言葉に偽りはなかった。

 2018年のシーズンをもって、21年間におよぶ現役生活に区切りをつけた鹿島のクラブレジェンドは、年の瀬迫る12月28日の引退会見のなかで、次のように語っている。

「ここで数多くのタイトルを獲らせていただきましたし、すごくいい思いもさせてもらいましたが、いい思い出よりも逆に悔しい思い出のほうがよく覚えています。自分のせいで負けた試合がたくさんあって、あと一歩で逃したタイトルがたくさんあって、鹿島はここまで20冠を積み重ねてきましたが、獲れなかったタイトルのほうが圧倒的に多いわけで、そういう悔しさのほうが自分にとっては大きいです」

 そして、こう言葉を重ねていた。

「一番印象に残っているのは、自分のPKが止められて、タイトルを逃したナビスコカップです。1つのキックで勝つこともあれば、1つのキックで負けることもある。インサイドキックで、狙ったところにしっかり蹴ることの大切さをすごく感じました。現役生活を振り返った時、パッと浮かんでくるのは、優勝や自分のゴールの嬉しさより、やはりあのナビスコカップのPKシーンです」

 いつまでも引きずっているわけにもいかないけれど、忘れるわけにもいかない——。こういって自らを奮い立たせた元日本代表戦士は、20歳の時に味わった痛恨の極みに向き合い続けた。それが、鹿島のクラブ史を彩る偉大なフットボーラーへと押し上げる確かな原動力となった。

(文中敬称略)

(小室 功 / Isao Komuro)

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